未だ年賀状の宛名書きが終わらず、多くの作業が年越ししてしまう中、なんとか今日中に年賀状を投函したいと思っています。 ことしの当会の主な活動を振り返ると。 3月15日 「殯(もがり)の森」上映会 5月18日 「いのちの食べかた」上映会 5月25日 街の記憶 劇場のあかり ~長岡座談会~ 6月1日 映画「ひめゆり」上映と柴田昌平監督トーク 8月9日 「4ヶ月、3週と2日」上映会 9月15日~9月21日 「第13回長岡アジア映画祭 ~すべてはマスィールの名のもとに~」 11月8日 映画「ひめゆり」上映会と座談会 フリーペーパー ”すくらんぶる”の発行 以上になりました。 お越しいただいた映画人の方々、並びに当会の活動にご理解とご協力をいただきました皆様、そして足を運んでいただいたお客様、皆様に深く感謝致します。 来年もどうぞよろしくお願いいたします。 年の瀬も押し詰まった頃にイスラエル軍がガザ地区を空爆、死者多数という報道がありました。 今年の映画祭で上映した「パレスチナ1948・NAKBA」「エドワード・ザイード OUT OF PLACE」をご覧になった方には遠い海の向こうの出来事とはいえ、決して他人事に感じられなかったのではと思います。 これからも出来たら遠い国の出来事が地続きにと感じられ、ご覧になった方の心に突き刺さるような映画も長岡で上映できたらと思います。 最後に「第11回長岡アジア映画祭」で上映して好評だった映画をご紹介いたします。 改めて新年も当会をどうぞよろしくお願いいたします。 プロミス 2001年 アメリカ 104分/ヘブライ語・アラビア語・英語 原題“PROMISES” 監督B.Z.ゴールドバーグ 共同監督・編集:カルロス・ボラド 配給:アップリンク 97年~00年の比較的平和な時にイスラエル、パレスチナ両方の7人の子供達を取材。たった20分の距離しか違わないのに隔絶された子供達が対面。一緒に遊び、夢を話し合い互いを知り合っていく。 監督B.Z.ゴールドバーグがパレスチナ人自治区、ヨルダン西流のユダヤ人入植地、かつて育ったエルサレム近郊の旅を追ったドキュメンタリー。子供達の姿を通し中東和平の可能性を考え未来を託していく。
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2008.12.31
| Trackback(0) | 当会の活動報告
先日当会宛のメールにお尋ねがありました。 現在、関西に住んでる方よりかつて北海道で小林茂監督にお世話になり、 「チョコラ!」はいつ頃、関西で上映されるのか知っていたら教えてほしいと。 小林茂監督は藤本幸久監督が北海道の炭鉱を舞台にしたドキュメンタリー「闇を掘る」にカメラマンとして参加。 その方は当時、現場の見学や手伝いなどで間近で小林監督の姿を目にして影響を受けたようでした。 現在は関西で雑誌のカメラマンとして苦労を重ねながらもお仕事に充実した思いを感じてるようでした。 それもカメラマンになったのは小林監督のおかげだと。 関西で「チョコラ!」上映の際はぜひ協力したいとのことでした。 「チョコラ!」は来年、東京公開を予定しているようです。 その後、全国を回ると思いますのでぜひ観ていただきたい映画です。 小林監督の姿を見てカメラマンを志した。 小林監督の人柄を知っていれば理解できるように思いました。
2008.12.30
| Trackback(0) | ごあいさつ
当会師走の三大事業の一つ事務所の大掃除がほぼ終わりました。 ワケあって床磨きに専念していましたが、さすがに以前より綺麗になった気が。 ここで例年なら一足早くきな粉餅(提供・いろは商店)を食べて今年を振り返ったりするのですが、いまだ年賀状の宛名書きが終わらない状況でそうもいかず、、、 しかし、きな粉餅は食べました。
2008.12.29
| Trackback(0) | 当会の活動報告
長岡の皆様、こんにちは。 はじめまして。 私は沖縄出身なものですから、 私たちは沖縄県外のことを本土とよく呼んでるのですけども、 私は映画の上映で行く先々のこの本土の上映会の場所は、 私にとっていつも初めての旅です。 上越新幹線でこちら長岡に足を運んだのは今日が初めてです。 会場に来ましたら長岡の街、紅葉が綺麗で 今、東京は市街地もそんなに紅葉していないので こちら中央図書館の凄く綺麗な紅葉の中で 今日皆さんにこの映画をご覧いただけることを 大変嬉しく思いますし感謝申し上げます。 上映後にまた皆さんとお喋りしたいと思います。 ひとつよろしくお願いします。 今日はありがとうございます。 11月8日 ”映画「ひめゆり」上映会と座談会” 大兼久由美プロデューサー、上映前舞台挨拶より。
2008.12.27
| Trackback(0) | 上映会
ようこそ「第13回長岡アジア映画祭」にお越しいただきまして大変ありがとうございます。 長岡で私はドキュメンタリー映画を撮ってる小林茂と申します。 私の今日の作品は「チョコラ!」というタイトルで今日の夜と日曜の昼過ぎくらいから2回上映されるんですけども、今日は佐藤真監督「エドワード・サイード OUT OF PLACE」の上映にあたりまして一言ご挨拶申し上げたいと思います。 佐藤真監督は昨年9月4日亡くなりました。50歳を数日前にした亡くなり方でした。 佐藤真監督は20代の後半ですけども1980年代の中くらいから頻繁に阿賀野川筋を訪れて、新潟の人達と力を合わせて「阿賀に生きる」という映画を作るという計画を立てまして私がキャメラマンとして呼ばれましてスタッフ7人が阿賀野川の小さな民家を借りて3年間1989年から92年まで共同生活をしながら作った映画が「阿賀に生きる」という映画です。 その後、新潟県内を「阿賀に生きる」が巡りましたし、「阿賀に生きる」というのはとても新潟県内にとっても我々にとっても大切な映画としてなりました。 その後、佐藤真監督は「まひるのほし」という障害を持つ人たちのアートですとか、自閉症を抱えながら食べ物をアートにしてる「花子」ですとか、それから加茂市出身の写真家・牛腸茂雄さんを扱った「SELF AND OTHERS 」とそういう作品群を作ってまいりました。 2002年から03年にかけましては私がまた佐藤さんと一緒に阿賀野川の風景を中心にした「阿賀の記憶」という作品でまた二人で一緒に仕事を致しました。 その映画は2004年に出来るんですが、ちょうど完成と同時にこの「エドワード・サイード」の撮影に入っていったのを覚えております。そしてその時はすでに計画をしていただ時はサイードさんはご存命で、いざ撮影に入ろうとしたら直前にお亡くなりになりました。 それで主役はいない映画になったわけですけども、それでも佐藤さんはじめ制作スタッフは彼の思想、痕跡を求めてパレスチナ、エジプト、イスラエルそしてニューヨークと転戦しながらこの映画を作ってまいりました。 時々僕のところに手紙をくれたり、お土産にパレスチナので出来たオリーブの石鹸を持ってきてくれたりいたしました。 時にはどういう取材かといいますとロードムービーみたいに一か所に長いこと逗留してるんではなくて、そこに数日間滞在したりしながらいくということで「阿賀に生きる」とは大変対称的な制作にはなったんですけども、そういうパレスチナ出身で思想家でアメリカに住んでいる、そういうアメリカで論陣を張ったエドワード・サイードを非常に佐藤さんは身近に感じてましていわゆるBORDERですね。境界にいる人達、そういう意味で大変共感を感じながら作りました。 それでレバノンに入りまして、そこからタクシーをチャーターするそうなんですけど、本当に小さい国で東京からいえば100キロ、200キロも走ればもうエジプトに出ちゃうというようなそんな感覚で言っておりました。 1945年の終戦後、各国の思惑がありましてイスラエルという国が建国されてパレスチナというもともといた人々がいわゆる居留地にされてしまう。という風な現状ですけども、そういう中で佐藤さんは旅をしながら、元々あった風景を描き出そうとしましたし、元々イスラエル人とパレスチナ人がいがみあったんだろうかということを考察しております。 だからイスラエル側には最後の方では取材に入るんですが、パスポートにパレスチナを訪れたハンコをがありますとイスラエルには入れないということで、パスポートを捨てまして取り直すような形でさらにイスラエルにも入ったりしております。 もちろんパレスチナで通訳とコーディネーターをしてくれる方はイスラエルには入れませんのでまた違う人を雇い、そういう風な撮影を約1年近く続けまして作品を2005年に発表致しましてエドワード・サイードの奥様もこの映画に出られますが、奥様も大変映画を評価したという話を聞いております。 パレスチナとイスラエルの所に黒海というですね小さい湖がありまして、まぁ小さくは無いんですけども非常に比重が重くて動物がなかなか住めないような所らしいんですけども、そこに浮かぶと比重が非常にあるので人間の身体がぽっかりと浮かぶそうです。 黒海で浮かびながら片やパレスチナ、片やイスラエルの灯を見ながらぷっかり浮かんでいたよという話もしてくれました。 彼は様々な作品を残して逝ってしまったんですけども今日は彼の追悼の意味で長岡アジア映画祭のスタッフがこの作品を上映します。長岡では初上映です。 そして亡くなったことをきっかけにして彼の全作品がDVD化されました。 代表作「阿賀に生きる」と「阿賀の記憶」が販売されております。 また「佐藤真 映画の仕事」ですとか、みすず書房からこのエドワード・サイードに関して佐藤さんやこの通訳・翻訳してくれた方の著作もございますので深めていただければと思います。 また私は最後には出てきませんが7時半からの「チョコラ!」にご来場いただくのを楽しみにしています。 じゃぁ、ごゆっくりどうぞ。 「第13回長岡アジア映画祭」9月18日「エドワード・サイード OUT OF PLACE」上映前 小林茂監督舞台挨拶
2008.12.26
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クリスマスは今年一年を振り返るにいいかもしれません。 そして亡くなった映画人を偲ぶのも。 今年お亡くなりになられた映画人で当会上映会に縁のあった方は。 ポール・ニューマンさんは主演作「明日に向かて撃て!」を1991年にNCホールで上映しました。 緒形拳さんは「第9回長岡アジア映画祭」で上映した「セプテンバー11」の日本編のナレーションを担当していました。 峰岸徹さんは大林宣彦監督作で当会主催で上映した「水の旅人」「はるか、ノスタルジィ」「風の歌が聴きたい」に出演していました。 韓国のトップ女優、チェ・ジンシルさんは「第5回長岡アジア映画祭」で主演作「手紙」を上映。 市川準監督は1993年に「病院で死ぬということ」をNCホールで上映しました。 そして今年の映画祭では一緒にお仕事をした坂井昌三先生より市川監督について触れたお話しをしていただきました。 僭越ですがこれらの映画人とスクリーンを通じて観客の皆様の橋渡しをしたと思ったりすると、その訃報に感慨深いものがあります。 足を運んだ観客の方々の灯として思いが残ることを、、、
2008.12.25
| Trackback(0) | 当会の活動報告
「第13回長岡アジア映画祭」9月15日「想い出はモノクローム」上映後舞台挨拶より *五藤利弘監督 ことしの春、4月に栃尾で撮影させていただきました。 栃尾の皆さんと一緒に撮影できるだろうか、この後に映画の企画が控えていたものですから僕らも本当に手探りでやらしていただいたのと、あと栃尾の皆さんも手探りだったと思うんです。 映画というのが一緒になって制作するのは初めてなことだと思うんで、春先に撮影させていただきまして地元の皆さんのご協力をいただきながら制作しました。 この後に長岡インディーズコンペティションがあるんですけども、この作品も僕とプロデューサーとで私費で制作させていただものであるんですけども、地元発信、栃尾・長岡から全国に向けて映画が制作できないかと、そういう所から立ち上がった企画だったものですから、手探りで、手作りでなんとかどこまでできるかというのを試した春先の作品で、映画祭を主催してる市民映画館をつくる会、あと長岡ロケなび、栃尾商工会の方々、栃尾の地元の皆さんの協力で出来上がった作品です。 作品の内容的にはわかりづらい所もあるんですけども、いろんな若い想い、自分が若い頃そうだったんですけども、行き場のない若い想い等、それぞれの若い想い、接点、ぶつかりあい、絡み合わないよいうなもどかしさだったり、でも何かしたい、そういった想いが伝えられるかと思って制作した作品です。 実は8月下旬に「モノクロームの少女」という長編作品を栃尾で撮影させていただいたんですけど、そのサイドストーリーといいますか、宣伝・予告編を兼ねた作品にさせていただきまして、夏の作品のためにいろいろノウハウを勉強させていただいたような作品なんですけども、実は夏に地元の方々にお世話になっておりまして一緒にずっと制作して下さった、制作に参加して下さった方がいらして下さるんですけど、一緒に壇の上に上がっていただければと思います。目黒さん、大崎さん、青柳さんぜひ来て下さい。 本当に手作りの我々の映画、そんなに製作費が無いんですけども地元の皆さん一緒に本当に手作りで作って下さって、まかないですとかご飯の手配ですとか、宿泊するとかいろいろ全部やっていただき、お世話になって映画制作自体はまだまだ編集が終わらないんですけどもぜひ一緒に頑張って来た皆さんにもここで挨拶を一緒にさせていただきたいなと思いまして、本当に皆さんありがとうございました。撮影の時は。 目黒さんはずっと僕ら朝3時4時から夜中11時12時1時2時3時くらいまでおつきあい下さってありがとうございました。 「私も初めての経験で監督以下助監督の皆さんとともに1日過ごさせてもらいました。 その期間が一週間でございました。随分遅くまで一緒にお供させてもらい、いろいろ勉強になりました。映画とはなかなか大変なのだなとつくづく考えさせられました。そしてまた監督は寝る時間も惜しんで撮影を、監督と一緒に仕事される皆さんの姿は本当に感心致しました。 全く映画とはともかく裏表が初めてわかってあの画面に制作ができるということを知り感じました。本当に勉強になりました」 「大崎と申します。今日監督から先ほど話がありました“モノクロームの少女”。 私自身は長岡フィルムコミッションに関係してるんですけども栃尾で映画制作委員会を作りまして皆さんでロケ支援、それから食事を、その他資金カンパからいろんな役割分担で支援させていただきました。 実際にロケそのものは一週間、本当に朝から夜遅くまでという形だったんですけども、ある所で朝6時からロケやるということで朝6時に行ったんですけど、夜中にスケジュールが変わったようでその日は朝5時からそこがもうロケやってて私がいた頃は終わっていたと。そういうようなこともありました。 9月2日新聞に載りましたけど南部神社で最後のロケをやったわけですけども、その日は夕方から始まりました。撮影が終わったのは2時半くらいでしょうか、それから撤収作業をやりまして、私が実際に寝たのは4時くらいだったんですけども、スタッフの皆さんもっと遅かったのではと思います。 非常にいろんな思い出がいっぱいある映画になりまして、とにかくスタッフの皆さん若いからこれだけやるのでしょうけども私はとても毎日朝早くから本当に夜遅くまで大変だという思いを本当に実感致しました。 ぜひ“モノクロームの少女"がですね多くの皆さんに観ていただけたらとこういうふうに思った次第です。」 「青柳というものでございます。さきほどの山古志、そして栃尾と本当に隣の部落というか素晴らしい映画を長岡から発信するのはつくづく感動して見せていただきました。 監督さん本当にご苦労様でございます。今ほど思い出話が夏ありましたがぜひまた“モノクロームの少女”というのを観ていただいて栃尾の良さをここから全国に発信したいなというような気持ちで期待しております。 先般も監督さんが言われましたが一つのところでドラマが出来たのは、素晴らしい栃尾の素晴らしい名所・旧跡・文化というのがあるんだなとつくづくそういうことで感動させられました。 本当に長岡市民の人情が暖かい友情であるということ、そしてまた今ほど先ほどももありましたが、これからの世代の子ども達の発信、こういう世代もあったんだと大事なことだと思いますんでその発信を皆さん十分理解していただきながら、先ほどの若い子ども達の素晴らしい演技もありました。 おそらく“モノクロームの少女”もそんな素晴らしい場面があるんじゃないかな。そんな気持ちでありますんでどうか皆さん期待をしていただければなぁとそんな気持ちでございます。 どうも監督さんありがとうございました。」 *五藤利弘監督 ありがとうございました。このように映画って地域の皆さんと一緒に作れるんだなと。自分も4月の撮影、あと8月・9月の撮影をして凄く勉強させていただきました。 やはり地域の一丸となって映画を発信していって全国にこんな素晴らしい土地があるよ、こんな素敵な風景があるよというものを本当発信できたらなと思います。 先ほどの山古志もそうでしたけれども本当に長岡・栃尾・山古志・新潟県中越地区、凄い素晴らしいすてきな風景がまだまだたくさん残っているんです。 それを東京から来て持っていかれるんじゃなくて自分達でやっぱり発信できればいいなぁというのも本当にこの企画出発だったんで賛同して下さった皆さん本当にありがとうございます。 (ワイシャツを脱いで)地元の栃尾は繊維の町なんですけどもこういうスタッフTシャツを作っていただいて洗濯する暇もなく衣装に困ってたんですけどもこういったものを作っていただいて本当に一丸となって制作できたことが凄く嬉しいなと思ってます。 これから映画祭も含めて地元色というものをどんどん強く打ち出していただけると嬉しく、外からも本当にアジアの素晴らしい映画も凄く皆さんに観ていただきたいですし、あと地元の発信の映画もどんどん作ってこれからいかれるようになってくると凄く嬉しいなと思います。 そういった意味で観る側、作る側両方が地元活性化できれば凄くいいんじゃないかと思っております。 次の世代の皆さんもいらっしゃるのでぜひ映画というのは観るのも楽しいし、作るのも楽しいって本当に僕は思って、どんどん応援いただければと思います。よろしくお願いします。 夏撮影した映画も来年春先に観ていただけるように編集作業進めてまいりますのでそちらの方もよろしくお願いします。ありがとうございました。
2008.12.24
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9月15日『第13回長岡アジア映画祭』 「かけはし」上映後、橋本信一監督、チーム・ヤマコシックス、浜口文幸先生舞台挨拶より。 *橋本信一監督 これはプロが作った映画ではありません。あとで紹介しますけども山古志の中学生あと小学生で作った映画です。ヤマコシックスというチームなんですけども6人の小学生6年と中学1年、3年生と6人で作った映画です。 雄大な山古志の自然が映ってたと思うんですけども、ヤマコシックスのメンバーを紹介する前になんでこういう映画が出来たか簡単に説明しますと、私は1998年から山古志に入って「掘るまいか 手掘り中山隧道の記録」って映画を1本作りました。 その上映をやりながらですね、そこで山古志の映画だったものですから、僕らの住んでる川崎の街に山古志の人が来てくれまして神楽南蛮とかいろんなものを持って「掘るまいか」の応援に来てくれました。そこから我々川崎市民と山古志の人達の交流が始まりました。 何度も上映する度に来てくれまして当時の長嶋村長も来てくれたり、いろんな方が来てくれました。 そんなことをやってる時にですね中越地震が来てしまいまして、僕らはずっと長いつきあいでしたから、非常に心を痛めましてっですね、何か応援したいということがありました。 それと並行しまして我々川崎しんゆり映画祭はずっと中学生に映画を作らせるというワークショップを9年やってきています。その中で山古志の子ども達を元気づけたいというか何かしたいということで、川崎でずっと中学生に映画を作って9年やってきたそのノウハウがあったものですから、じゃあ学校も出来てみんな村に戻ったということなんで映画作りを一緒にやってみないかということを声をかけました。 そしたらそれに応えてくれたのが後で紹介する6人の子ども達でした。 彼らが一緒に脚本から撮影、仕上げにいたるまで彼らと一緒に「かけはし」を制作をしまして、昨年の夏にですね一夏かけて出来た映画です。 山古志での上映はやったのですけど今日、この大きなホールでですね彼らにとっても初めての劇場での上映会ということで本当の意味でのお披露目だなっていうふうに思います。 そのヤマコシックスのメンバーとあと作品指導をしていただいた浜口文幸先生をご紹介したいと思います。 去年会った時よりもみんな大きくなったんですけども、我々大人は脇役でですね実際この映画を作った主役は撮影も脚本も演出も我々はちょっとサポートはしましたけども基本的に彼らが作った映画です。 作った人達から一言ずつ自己紹介と何をやったかと、あと簡単な感想などを喋ってもらいたいと思います。 *チーム・ヤマコシックス 「演出と撮影を担当した坂牧です。この映画を作って1年経ったのにまたこうして上映させていただいてとても嬉しく思います。この映画をきっかけに川崎の人とも仲良くなれましたのでとてもいい思い出になりました。」 「演出の星野です。この映画を作ってドラマとか映画を観る上でどういう撮影をするのか興味を持ったりとかするようになりました。とてもいい思い出になったなぁと思います。」 「橋沢役をやった斎藤です。この映画作りを通して川崎の人たちと交流したり、あと今日のようにいろういろな所で上映させてもらってとても嬉しく思います。ありがとうございました。」 「撮影と照明をやった斎藤です。映画どうやってできるのかよくわかったので勉強になりました。」 「栃倉役をやった五十嵐です。今回の夏は暑い日が続いて大変でしたがみんな一生懸命作ってきた映画なので本当に良かったです。今見るとちょっと恥ずかしいです。」 「マイクと選曲をした長島です。映画を観てこのマイクと映画に携わって本当に良かったです。」 *橋本信一監督 川崎でやってたジュニアワークショップもそうなのですけど、基本的になぜ映画なのかというとですね映画というのは具体を求められるわけですよね。 例えばなんとなくというのだと現場では進まないですね。つまり自分はこういう衣装を着せたいとか、こういうふうに人物を歩かせたいとか、一つ一つ具体を決めて指示しないと映画の現場っていうのは回っていかないんですね。 たぶん中学の生活の中で何かを進めていくのが授業と違った経験がですね、この映画作りでできるということと、あと映画は集団作業ですからみんな一つにならないと映画はできません。 そういった意味で今回「かけはし」は6人非常にそれぞれキャラクターはいろいろなんですが、本当にこの6人の個性が一つになって「かけはし」という映画が生まれたんだなぁと思います。 ですからしかも映画は残るということですね。この作品はずっと彼らが大人になってもですね残って、俺達が若い頃、私たちがこんな映画を作ったんだという形でですね、これが非常に映画ならではではないかなというふうに思います。 もちろん子どもだけで全部やれるわけではないので我々はサポート活動をしますけども、その中で今回、山古志に入ってですね一夏、本当に一夏一緒に過ごしてくれた浜口監督に一言どういうふうなワークショップだったかを語っていただきたいと思います。 *浜口文幸先生 逞しい6人でした。出来上がった映画はですね映画の形ということでいえば体裁よく整っているような形でそこにはもちろん我々のちょっと手助けというのがありますけども原作とかもともとのストーリーとかそういうものには実は一切手を出していなくてですね最初のうちはこういうふうにしたらいいんじゃないかと誘導して行って、その後は彼らがどんどん出て行ったということですね。 さっき橋本監督が言ってました具体ということですけども、なんとなくという感じで、怪我をする時に「どういう怪我をするの?」というとなんとなくなんて言ってたんですけど、それでは映画は進まないんでどこで撮るとかどのお母さん、お爺ちゃんを選んでくるというのを全部、まぁそういう意味ではまぁ決めなよという形で、それがこう段々面白くなってきて彼らの一夏、村の行事とかいっぱいあるんですけど面白がってくれたという感じでした。 そういう意味では我々も僕なんかも一夏いて彼らとですね非常に刺激的な一か月を過ごしたというような感じで、本当にですね我々大人というかプロというか、プロと中学生が一緒になってそうとは言いつつもこれは彼らがイニシアチブを取って作り上げた映画だと、そういう素性の映画であってこういう映画が市民映画というか民間の映画という意味でおいていえば、これは中学生が堂々と作った映画なんだというふうなレイアウトというかバランスの映画が今後はあってもいいんじゃないかと。 そんな意味も含めてこんなスタイルの映画が出来たというふうに理解していただければと思います。 どうもありがとうございました。 *橋本信一監督 この「かけはし」ですね。今日初めてこういう立派な大ホールでかけていただきました本当にありがとうございます。 この長岡アジア映画祭の方に本当にお礼を言いたいと思います。 引き続きですねこのテープありますんでぜひ「かけはし」をうちでかけたいとかぜひ上映したいという話がありましたらどんどん言っていただければ。 本当に一生懸命作った映画なのでいろんな所でかけてですね、いろんな人達にいろんな思いを持ってもらいたい映画です。 だからたぶん映画っていうのはお客さんが育てていくものですから作って終わりじゃないすね。 お客さんが観てもらって初めて映画として成長していくので、これからも「かけはし」を育てていくのはみなさんだと思うので、もっともっと大きくですねこの「かけはし」を育てていただきたいと思います。応援のほどよろしくお願いします。今日はどうもありがとうございました。
2008.12.23
| Trackback(0) | 長岡アジア映画祭
来年の大河ドラマ「天地人」。 主人公の直江兼続は新潟県出身ということで県内では盛り上げようと必死です。 長岡では特に兼続が城主となったり、伴侶のお船の出身地である与板地域に所縁の地がたくさんあり、全国から観光客が訪れるのでは期待されています。 その与板でご紹介したい喫茶店が“でくのぼう”です。 店内は雰囲気のいい手作り陶器が並び、気さくな若いお母さんが一人で切り盛りしています。 そして何よりお店はログハウスで建てられており、木の香りの中で一杯のコーヒーとともにほっとくつろげるのが最高の時間となります。 与板地域のガイドマップも充実し、長岡からだとお店は与板の入り口になるので「天地人」巡りの際はぜひ足を運んでみてはとお勧めします。 その際、当会フリーペーパー“すくらんぶる”も置いていただいてるので手に取ってみてください。 でくのぼう HPhttp://www5.plala.or.jp/deku-deku/
2008.12.22
| Trackback(0) | お知らせ
みなさんこんにちは。 「花の夢」というこれから上映していただきます映画の監督の東志津と申します。 お休みの日にお越しいただきましてありがとうございます。 さっき東京からこちらの方に着きました。昨日は東京は大雨で今日も大雨という天気予報だったので新幹線が動かなかったらどうしようと内心思っていたのですが、無事到着してこちらは凄くお天気が良くて東京よりも暑く、お天気だったので良かったなぁと思いました。 私は仕事柄、日本全国いろんなところに行かせていただいてるんですが、いろいろ考えると新潟に来させていただくのは今回が初めてで、この長岡アジア映画祭で上映していただけるということで大変嬉しく思います。 外の公園とか緑が本当に美しくて、会場も凄く綺麗でこういうところで、東京でこつこつ作っていた映画がこういうふうに上映していただけるのは本当にありがたいなと思います。 映画が終わった後にも皆さんのご感想をお伺いしたり、映画のことをちょっとお話しさせていただく時間があるということですので、映画が終わった後にゆっくりとお話ができればと思います。 96分の作品ですけどもゆっくりとご覧いただければと思います。 どうもありがとうございました。 9月20日『第13回長岡アジア映画祭』 「花の夢 ある中国残留婦人」上映前、東志津監督舞台挨拶より
2008.12.21
| Trackback(0) | 長岡アジア映画祭
今回上京した目的の一つに長岡を離れた当会メンバーのママさんと今年産まれた娘さんに逢うことでした。 当会も来年結成20周年ということで様々な人間ドラマがあったりするのですが、その一つがそのママさんと目にする赤ちゃんでした。 この赤ちゃんの誕生を巡って陳腐な表現ですが、まさに映画のような出来事があったりしたので、目にした時は複雑な気持ちと感慨深いものがこみ上げたりしました。 そして何も恐れるものなどないような無垢な微笑みにすっかり癒されていました。 その微笑みが多くの人に力を与えますようにと。 ママさんと赤ちゃんは新宿へ、こちらは所用で代々木で降りるために水道橋駅のホームへと向かったのですが、ベビーカーで来ていたものの、エスカレーターが無く頭上には見上げるような階段が。 それならばとベビーカーを抱え持ち、上ったりしましたが、階段と乳母車というとどうしても映画好きにとって脳裏をかすめるのは「戦艦ポチョムキン」や「アンタッチャブル」のあのシーン。 そうならぬようヒヤヒヤしながら抱えていましたが、周りは随分と頼りないパパさんに見えただろうと。 いつもこれでは赤ちゃんと気軽に外出できないのではとママさんに聞いたら、 「子供が生まれてとても力がつきました。それに皆さん優しくしてくれる」と。 もうベビーカーの中は窮屈なのか、やたらと元気にドタバタしていた赤ちゃんは別れ際にはスヤスヤと眠っていました。 その微笑みが多くの人に力を与えますようにと。 というわけで今回上京した際にお会いした皆様、大変お世話になりありがとうございました。 また会う日まで。
2008.12.20
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S東京特派員は韓国出張を経て韓国映画ショーケースを観賞。 「ヘンゼルとグレーテル」を観終えてから新宿に合流しました。http://www.cqn.co.jp/ks2008/ 韓国ではお仕事の合間にDVDの掘り出し物を探して映画はチャ・テヒョンの「スピードスキャンダル」や3D版「ポーラ・エキスプレス」を観賞。そして今回は舞台にも足を運び「タンポポ、風になって」を観劇したそうです。主役はキム・ギドクの傑作「悪い男」のチェ・ジョヒョン!と円高の韓国を満喫したようです。ちなみに他の劇場では「笑の大学」の舞台もあったそうです。 フェファ、トンスンアートセンター(入り口の上に「タンポポ、風になって」の垂れ幕) そしてS特派員の韓国映画ショーケース2008のレポートが届きましたので紹介します。 いつもありがとうございます! 「サグァ」 監督 カン・イグァン 出演 ムン・ソリ キム・テウ イ・ソンギュン 制作は05年でその年の東京フィルメックスでも上映された作品ですがお蔵入りになって韓国でもようやく今年公開された作品です。 監督の舞台挨拶もあったのですが、その辺の事情は説明はなかったです。 ひとつの恋の終わりから新たな恋へ。そして愛情の持続についての心のうつろいをじっくり描いた映画です。 良心的な映画だと思いますがムン・ソリはミスキャストのような気がします。「私の生涯最高の瞬間」のムン・ソリは良かったんですがねえ。 「セカンド・ラブ」 監督 キム・ジナ 出演 ヴィラ・ファミーガ ハ・ジョンウ アメリカ・韓国合作映画。主演のヴィラ・ファミーガは「ディパーテッド」で精神科医だった人ですね。アメリカが舞台でキャストもハ・ジョンウ以外はアメリカ人です。 裕福な韓国系アメリカ人の夫を持つヒロインはなかなか子供が出来ず夫の家族からプレッシャーを受けているのですが、検査の結果夫の精子に問題があることを知ります。なんとか子供を得たいと思った彼女は思いつめ、病院で出会った不法滞在者の韓国人に契約セックスを持ちかけます。 どうにもむりやりメロドラマにしようとしている設定に思え、がんばってはいると思いますが不自然さをぬぐえない映画でありました。ポルノ的画面も商業的な要請で挿入しているようであまりいい印象はありません。しかしアメリカ人になっても子孫第一の韓国人メンタリティというのはこういう映画のテーマとなりうるものなのだなあと考えさせられました。監督は脚本も書いていて女性です。 「目には目を」 監督 カク・キョンテク アン・クォンテク 出演 ハン・ソッキュ チャ・スンウォン スゴ腕の刑事をハン・ソッキュが、その刑事を相手に完全犯罪を挑む犯罪者にチャ・スンウォンが演じます。 ハン・ソッキュは大スターですが最近いまいちの作品が続いています。理由は色々あると思いますが、あまり実績のない監督と組むことが多い(多くは新人だったりする)ことと、共演者がハン・ソッキュに対等に勝負できるものでなく、ワンマン・ショーになってしまう内容のまずしさがあったと思います。 しかし今回監督は「友へ チング」のカク・キョンテクと「マイ・ブラザー」のアン・クォンテク。なぜ共同監督なのか分かりませんがどちらも実績のある監督ですし、共演者はチャ・スンウォン。ダブル主演と言っていい強力なコンビで、今回は期待しました。 が、しかし期待というか希望はかないませんでした。 今ごろ「ヒート」かよ…スターふたり揃えてこんなことがやりたかったの? 周回おくれのトップランナーみたいな映画でした。はでなシーンも多いですが全体的に見せ方が下手。 とは言えこんなアクション映画を作れてしまう韓国映画は日本映画にくらべてはるかにうらやましいですが。 「あの人は遠くへ」 監督 イ・ジュンイク 出演 スエ チョン・ジニョン オム・テウン 71年。韓国はベトナム戦争に参戦していました。兵役についた夫(オム・テウン)と妻(スエ)。彼には愛人がいて夫婦仲はひえきっています。 愛人に去られた夫は自棄になり暴力ざたをおこしベトナム行きになってしまいます。なにも知らされなかった妻はベトナムからつれて帰るといきまく姑を思いとどまらせて自分がベトナムに行くことを決意します。女の意地です。歌が好きだった彼女は慰問団の一員としてベトナムに渡ります。映画ではこの慰問団というかバンドがかなり規格外であまりリアリティがないように感じますが、このリーダーがチョン・ジニョン。 いつもはカリスマあふれる彼も今回はスエに圧倒されてます。ただの田舎者だったスエは音楽にめざめどんどん変わっていきます。この変化は見物です。 戦場ではこの音楽がバンドを何回も救います。音楽の力というメッセージが見るほうに感じられます。 とはいえ今回は戦争が題材でありなにもかもめでたしめでたしでは終わりません。かなり辛い展開になります。 もともとの発端もかなり不条理な動機から発生した物語なのでもうちょっと語り口を統一してある種のコメディとして見せたほうが見やすかったかもしれないと思ったりしました。 「お熱いのがお好き」監督 クァン・チルイン 出演 イ・ミスク キム・ミ二 アン・ソフィ 一年間も同じシナリオを直し続けている脚本家の卵のアミ(キム・ミニ)は舞台美術の仕事をしている姉(イ・ミスク)の家の居候。イ・ミスクには高校生になる娘(アン・ソフィ)がいる。この世代のちがう3人の女たちのそれぞれの恋愛模様を描いた作品。 男なんか必要なときにいればいい、とでもいうかのような恋愛描写はちょっと、という感じだけどとにかくセリフがよくて、見ていて楽しい映画でした。 特にあまりこれまでパっとしなかったキム・ミニがはじけたキャラクターを演じて魅力的。すごくよかったです。 「待ちくたびれて」監督 リュ・スンジン 出演 ソン・テヨン チャン・グンソク チャン・ヒジン ハン・ヨルン 兵役によって離れ離れになったカップルたちの物語。韓国の男子が必ず通る道。兵役。 その期間は2年間。恋人がいても2年間はほとんど会うことができなくなってしまう。 その困難を恋人たちは潜り抜けることができるのか? 映画は4組のカップルが登場して2年間の年月を描きます。 兵役は日本人からすれば特殊なことですが韓国人にすれば特別な経験ではあってもある意味だれもが経験することでもあり、映画のなかで描かれる恋はかなり共感できるものであるとか。 そんな兵役を日常てきな出来事として等身大にえがいたちょっと今までに無いタイプの作品でした。 しかし軍の撮影協力は得られず映画に出てくる入隊式や行軍シーンなどはすべて映画用に準備しなければならなかったそうで、これはちょっと大変だったと思います。 なぜ協力が拒否されたかというと映画の中のカップルのうち何組かが分かれてしまうのが兵士の士気を低下させるから、だとか。 しかし現実でもカップルが兵役中に別れてしまう確立は80%らしいのでこの比率を映画の中でも大体あっていて、かなり軍に考慮した内容になっていると思うのですが… 4組の中では監督と一緒にティーチインに登場したチャン・ヒジンの片思いのエピソードがよかったです。 「ベイビー・アンド・ミー」監督 キム・ジニョン 出演 チャン・グンソク キム・ビョル 家は大金持ちで金に困らずイケメンで女にも不自由しない不良高校生ジュンス。 その素行を改めさせるために両親はわずかな金を残し家出。 これを機会に息子が改心してくれればとの親心からだが、とつぜん親にあいそをつかされショックを受けたところに更なる災難が。「あなたの子供です。育ててください」と書かれた紙と一緒に赤ちゃんが置き去りにされていたのだ。 心当たりがありすぎるジュンスは母親を探しつつひとりで赤ちゃんの世話をするはめになる。 そのどたばたの奮闘記。マンガとしかいいようがない設定なのにそれに徹し切れてない詰めの甘さがあり、映画に没頭して大いに笑える、というところまでいかないところがちょっと歯がゆいところですが、主人公に一目ぼれしてしまう変人の女の子キム・ビョル(役名も同じ)がとにかくキュート。 「ヘンゼルとグレーテル」監督 イム・ピルソン 出演 チョン・ジョンミョン シム・ウンギョン 山の中の道を車で運転中に事故を起こし夜の森で道に迷ったウンス(チョン・ジョンミョン)は明かりをもって現れた少女の助けで彼女が住む森の中に一軒家にたどり着く。そこでは彼女の両親と兄と妹がいた。しかしどうも様子がおかしい。両親は子供たちを恐れているようだ… 映画版「トワイライトゾーン」を見た人ならあまりにそっくりな話でびっくりするんじゃないかと思いますが、そうです。そのまんまです。 しかし「ヘンゼルとグレーテル」をモチーフに取り込んで虐待を受けたこどもたちのかなしみに大きく比重をかけているのと、結末の違いで独自の魅力をもった映画になっています。見所はウンスと3人の子供たちの2回の対決場面。こどもたちの大人に対する不信を否定しきれないウンスの苦悩はチョン・ジョンミョンの演技もあって感動的です。2回目の対決は正直最後がどうかと思うのですが(伏線不足かなと)こどもたちのかなしさが感じられてなんともいえない余韻を残します。ファンタジーという形式を生かして日常ではできないテーマを描くという点では正しいファンタジーのあり方を示している映画だと思います。 いろいろつっこみどころはありますが。ちなみに土曜日から会場になんかやたらかわいい女の子がいるなあと思ったらシム・ウンギョンちゃんだったみたいです。中学生ぐらいの女の子の観客なんていないですよね。ふつう。 以上8本。「クロッシング」以外は見ることができました。「クロッシング」は公開が決まっているので公開されたらみようと思います(平日に1回だけの上映なのでちょっとムリ)。 今回ちょっとプロジェクター上映が多かったのが気になりました。 フィルムは「サグァ」「あの人は遠くへ」「目には目を」「クロッシング」の4本だけで他はプロジェクター上映。ハイビジョンではない標準画質で大スクリーンに上映できるのは技術の進歩を感じますがフィルムとの差はやはりわかります。その点ちょっと残念でした。 カンビョン、テクノマートのクリスマスツリー
2008.12.19
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望年会の翌朝、事務所で目が覚め五藤監督とお別れし、こちらもわざわざ望年会に東京から参加したN東京特派員と横浜へ。 某ライブのチケットが余ったのでというお誘いを受けた後、せっかく来たのだからと新潟で公開されてない映画を観ようということで、たくさんある中から「ひめゆり」の柴田昌平監督が賞賛していた「大丈夫であるように -Cocco 終わらない旅-」を選んで渋谷でいつしか4人で観賞しました。http://www.himeyuri.info/kantoku_blog/2008/12/daijoubu_cocco.html 今年6月1日の「ひめゆり」長岡上映会に足を運ばれた方は柴田監督のお話しでご存知かと思います。 「ひめゆり」を観たCoccoがひめゆりのおばぁたちのためにとレコーディングしてニューアルバム「きらきら」に収録したのが「お菓子と娘」. ひめゆり学徒隊が壕を掘りながら先生と一緒に笑いながら歌ってたというハイカラな曲で作詞は西條八十。 「大丈夫であるように」では沖縄のコンサートでひめゆりのおばぁ達を前にこの「お菓子と娘」を歌い上げるシーンに身体が打ち震えるものを感じていました。 「ひめゆり」を観ただけに、そしてこの明るい歌の後に凄惨なことが起こると知ってただけに、そしておばぁ達は乗り越えて生きてきただけに。 映画はCoccoが大丈夫であるようにと祈りながら全国を歌い巡礼する姿を追っていきます。 黒砂糖だけを口にしあまりにも重い荷物を背負いながら行くような姿は痛々しさと悲壮感を感じずにいられませんが、そんな彼女から振り絞るように叫ぶ「生きろ」という言葉はとても励まされました。こんな時だけに観て良かっといえます。 しかし疑問なのはなぜあそこまで暗い画像にこだわり、カメラを揺らしているのか。 その真意が計りかねずにふと、柴田監督版の「大丈夫であるように」ならどうなるんだろうと興味を持ったりしました。 映画を観賞後、渋谷駅に向かう頭上の一段ときれいなお月さまに一同大喜びした後、新宿の飲み屋さんで有楽町の「韓国映画ショーケース2008 」を観賞してたいつも東京の映画祭レポートを送っていただくS東京特派員も合流し、映画の感想や近況報告などでまたも楽しくお酒を飲んだりしていました。 ぜひまたこんな機会を作れたらと願います。 東京特派員の方々にたまたま研修のため上京してたMさん、どうもありがとうございます。 ちなみに帰りの切符を渋谷駅で買った後にすれちがったお方があの“エロ事師”こと小沢昭一先生! とても尊敬する俳優だけになんでこんな場所でと密かに驚いてました。
2008.12.18
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今回の望年会。 三年連続で五藤利弘監督が東京からわざわざご参加くださいました。 今思えば、最初に来たのが長岡で映画を撮影したいという本当に手探りの状態の段階でしたが、あれから本当に映画撮影を実現したことに改めて畏敬の念を覚えました。 自己紹介で五藤監督は「皆さんのおかげで映画を撮影できました」とお礼の言葉を述べてましたが、それに返答する形でシネ・ウインドの齋藤代表は「みんな五藤監督の力ですよ」と労をねぎらっていました。心底同意できます。 「モノクロームの少女」は現在、五藤監督の手により編集中で年内の完成を目指しているようです。 それで望年会は賑やかなまま、事務所を後にして二次会、三次会と街へと繰り出しました。 五藤監督も同行していただき、いろいろと楽しい話や意外な話、映画についての持論を聞かせてもらいました。 五藤監督はというと当会の魂の映写技師にて小林茂監督作「チョコラ!」の制作事務局を担当し、アフリカの撮影にも同行したKさんに、「チョコラ!」についていろいろと質問攻めをしていました。 二人はすっかり意気投合したようで二次会、三次会さらには事務所に戻り、ずっとずっと話し込んでいたようです。 ようです、というのはさすがに途中で眠り込んでしまいました。 お二人が今後の映画活動で今後互いに実りあり良い方向に進めばと僭越ながら思いました。 それで事務所で目が覚め後片付けをして向かった先は、、、
2008.12.17
| Trackback(0) | 当会の活動報告
望年会では参加者の間で初対面の方もいらっしゃるので必ず自己紹介の時間を設けます。 と、同時に今年観た映画でベストワンも一緒に話してもらいます。 そうすればその人の嗜好や性格、思想もちょっとわかるような気がするので。 それで各自自己紹介で話した今年のベストワンは挨拶順で。 カフカの田舎医者、最高の人生の見つけ方、トウキョウソナタ、潜水服は蝶の夢を見る、降りてゆく生き方、お早よう、崖の上のポニョ、ブリスフリー・ユアーズ、ダークナイト、ひめゆり、ハッピーフライト、その日の前に、休暇、ミスト、テラビシアにかける橋 、セックス・アンド・ザ・シティ、 殯の森、実録連合赤軍 あさま山荘への道程、シークレット・サンシャイン、チョコラ!、容疑者Xの献身、ホットファズ、ランジェ公爵夫人、おくりびと、etcその他、、、、 その後は映画談義そのほか、もろもろとふけていきました。
2008.12.16
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こんにちは杉田愉です。 足もとの悪い中、お越しいただきありがとうございました。 僕は柏崎出身で長岡に機会があって、何度か通って今日も柏崎から通って来ました。 本当に地元に一番近い映画祭ということで、 今日みなさんとお会いできる日はとても楽しみにしてきました。 (「貝ノ耳」は)海外の国際映画祭でたくさん上映される機会があったんですけど、 その時にいつも上映前に舞台挨拶で話す言葉があります。 この作品はみなさんがたとえば今日会場に来られる時に 「貝ノ耳」をこれから観に行きたいというふうにして、 ご家族やお友達の方に告げて来られた方がいらっしゃるかと思います。 この作品はかなり特殊な作品でして、 僕が海外で読んだ批評の中で 映画に見られた、映画に見返された、映画に見つめられたって言って下さった 観客や評論家、映画監督の方、審査員の方がいました。 みなさんがほんの一瞬、33分と短い時間ですが、 ほんの一瞬でも映画を見たでなく、 今日は映画に見つめられた、映画に見られたという感触・瞬間がほんの少しでもあれば幸いだと思います。 では今日は上映よろしくお願いします。 最後までゆっくりご観賞ください。 ありがとうございます。 9月21日『第13回長岡アジア映画祭』 「貝ノ耳」上映前、杉田愉監督舞台挨拶より
2008.12.13
| Trackback(0) | 長岡アジア映画祭
現在発売中の映画雑誌『月刊ウインド』に「第13回長岡アジア映画祭」のレポートが掲載されています。 執筆者、及び編集部の皆様、ご紹介ありがとうございます!
2008.12.12
| Trackback(0) | 長岡アジア映画祭
師走の三大事業と並行して次回上映作も検討しています。 あ~だこ~だと好き勝手に候補作をいろいろと挙げている時が楽しいように思ったりします。 決断をする時は覚悟を決めますが。 リクエスト作品がありましたらこちらまでご連絡願います。
2008.12.11
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例年当会師走の三大事業として 年賀状の宛名書き、望年会、大掃除が挙げられます。 昨日はこのうち年賀状の宛名書きに突入しました。 ただ住所をデータに入力する時間がなかったので全て手書きになります。 お世話になった方々がおかげさまでちょっと膨大な数に上り、 よって枚数も結構な数になります。 できましたらこちらもお手伝いいただける方がいらしたらありがたいです。 毎週月曜夜に事務所にて活動しています。 昨晩はジョン・レノンをBGMに4人でせっせと制作してました。 そんな調子でやっています。 当会も「スターティングオーバー」かな、と。
2008.12.09
| Trackback(0) | 当会ご案内
11月8日に長岡市立中央図書館で開きました“映画「ひめゆり」上映会と座談会”のお客様の感想を抜粋して掲載します。 当日は若い方から年配の方まで幅広い世代から観に来ていただきました。 映画「ひめゆり」はこれからも全国各地で上映されます。 機会がありましたらぜひ足を運んでいただけたらと願います。http://www.himeyuri.info/ *ひめゆり、テレビなどで知っていたが、今回の上映会をみて私は戦争を知らない世代でショックを受けた。戦争を起こしてはならないと思った。 *教育の大切さ、重さを改めて感じる映画でした。 戦争、命、生き方・・・様々な角度から今の社会を見つめる機会となりました。ありがとうございました。 *私がこの映画を観て感じた事は少し古い映画ですが「硫黄島からの手紙」鑑賞後と同じ「現在の平和な世の中を大切にしていかなければいけない」という事でした。命を大切にしなければいけないと強く考えさせられました。良く生きるという事について。 *今日は小学生の娘を3人連れて来ました。戦争のことについて今回のフィルムから何かを感じてくれたと信じてます。平和な世界がずーっと続くことを願ってます。 *戦争に関する映画は今まであまりみたことがありませんでした。 今回のこの映画をみて人の心、命、絶対に戦争はしてはいけないこと、、、 いろいろ感じることができました。 *つらい、悲しい、切ない。 この証言の人たちより10才位下の私もあの頃同じ軍国少女だったので戦争のむごさがよく伝わり、平和教育の大切さが身にしみました。 今、日本が後もどりしそうな中で貴重な記録だと思います。 *大兼久さんからいろいろなお話が聞けてよかった。 おしつけでない、すばらしい作品だと思った。 *以前より存在を知っていたこと(Coccoのファンなので)も有り、是非見たいと思ってたので、今回拝見できて良かったです。 3月にひめゆり資料館へ行って来たばかりだったので、より身近に聞くことができました。 *父が戦争に行っていて、あまり話したがらないので生きているうちに聞いてみたい。 *5年後、10年後再び上映してほしい。又、6月23日は特別な日となった。 *大変ショックを受けました。生の声がこわかったです。戦争を起こしてはならないと思いました。 *大変よかった。
2008.12.06
| Trackback(0) | 当会の活動報告
マイスキップ編集部が発行している長岡のフリーペーパー“マイ・スキップ”12月号に当会“すくらんぶる”編集長のインタビュー記事が掲載されています。 “すくらんぶる”で好評連載中のジブン探しの旅「あしはれ番外編」に至る話題を中心にお話ししています。 興味を持った方はぜひお手元に。 ちなみに表紙は「モノクロームの少女」に出演してる大桃美代子さんのインタビューです。 五藤利弘監督との出会いや映画に出演した経緯もお話しされています。
2008.12.05
| Trackback(0) | お知らせ
「第13回長岡アジア映画祭」で香港映画「MY MOTHER iS A BERRYDANCER」の上映前に素晴らしいベリーダンスショーを開いていただいたカリーラ先生とサンダリー・ベリーダンス・スタジオの皆様。 お礼として皆様に当日のパフォーマンスの模様を録画したのでダビングして渡そうと思ってましたが,あいにくダビング機が故障。 先日ようやく修理して直ったのでダビングをして皆様にお渡ししてきました。 当日のパフォーマンスは本当にきらびやかなステージでお客様は大変喜んでいただいたと思います。 おかげさまで映画祭が大変盛り上がりました。改めて感謝です。 中でも印象に残ったのが本番、ギリギリまで客席から生徒の皆さんに熱く指導していたカリーラ先生の姿でした。 妥協をせずにステージに立つ何十名の生徒の皆さんに目を注ぎ指導をしているので、はたしてカリーラ先生の練習はいいのかと思っていましたが本番では会場の雰囲気を敏感に察知し、即興でパフォーマンスをしていたそうです。本当に圧巻でした。 カリーラ先生に生徒の皆さんが多大な信頼を寄せているのも納得できました。 DVDを渡しに教室を訪れ少し見学していましたが、生徒の皆さんは本当に踊ることが大好きなことが感じられました。 また機会ができたらお願いしたいと思っています。
2008.12.03
| Trackback(0) | 長岡アジア映画祭
たかさきシネマテークの総支配人、茂木正男さんが亡くなったと先日知りました。 今からもう十数年前、第1回の長岡アジア映画祭を終えた後に高崎から招待状が届きました。 高崎で全国の映画祭主催者が参加するシンポジウムがあるので参加しませんか? といった内容でした。 右も左も分からない頃(今でもそうですが)だったので、 先輩達のお話を聞きに伺ういい機会だと思い、実行委員で足を運びました。 高崎で見たのは全国から集まった関係者がスムーズに交流していくように、高崎映画祭代表の茂木さんが尽力しているお姿と情熱でした。 今、思えばこのシンポジウムに皆さんで参加して刺激を受けたのが映画祭を継続できた理由の一つかもしれません。 その後、高崎を訪れる機会があったら茂木さんの姿を探していろいろとお話しをさせていただきました。 ある時、シネマテークたかさきを訪れた際に「エメラルド・カウボーイ」上映とともに監督・主演の“エメラルド王”こと早田英志氏の舞台挨拶があり、茂木さんに誘われお昼ご飯をご一緒させていただきました。 エメラルド王の尋常でないけどすべて本当にあったという波乱万丈の武勇伝にあっけにとられながらも、にこやかに聞いて時に突っ込みをいれる茂木さんの柔和な表情が思い出させれます。 茂木さん、どうもありがとうございました。 高崎映画祭HPhttp://www.wind.ne.jp/tff/
2008.12.02
| Trackback(0) | 上映会
東京特派員のフィルメックスレポート最終回です。 報告ありがとうございました。 しかしこの画像、会場のある有楽町の抜けるような青空はなんなのでしょうか。 「ショーガ」カザフスタン・フランス合作。ダルジャン・オミルバエフ監督作品。 この監督は01年にNHKの出資で「ザ・ロード」という作品を撮っていますが、それ以来の新作です。 タイトルはヒロインの名前です。ソ連時代には時代遅れと見なされた古くからある名前だそうです。 トルストイの「アンナ・カレーニナ」を現代のカザフスタンを舞台に映画化しました。 なぜ今アンナ・カレーニナなのか気になりましたがプロデューサーの方の答え(監督は来日してません)は「名作だから」。うーん。 それはともかく原作はプロットを借りただけだそうで長編小説の映画化なのに上映時間は88分。 ムダなカットなどない状態にまで研ぎ澄まされるとこのような上映時間になるのでしょうか。 パンフレットの監督のコメントによると、今までの映画化作品は何本か見たが「写真による小説」としては成功している。自分は「映画言語による映画」を作りたい、とのこと。 また音楽の使い方についての質問に監督の考えではやたらと音楽を入れて盛り上げるやり方は演劇であり映画ではないとも。 そんな話も納得の緊張感の途切れない見ていて嬉しくなる映画でした。 「ティトフ・ヴェレスに生まれて」マケドニア・フランス・ベルギー・スロベニア映画。テオナ・ストゥルガー・ミテフスカ監督作品。 主人公は三人姉妹の末娘。父親の死後言葉を喋らなくなった。 内なる世界に閉じこもる彼女の希望は子供を授かること。 幻想の世界では奇怪な出産の行為が繰り広げられる。一方現実世界でも街は活気がなく工場はつぶれ人々は姿を消し荒廃していき、街の周囲の灰色の山々の中に風化していくようです。幻想と現実が入り混じった不思議な雰囲気の作品でした。 「デルタ」ハンガリー映画。ムンドルツォ・コルネール監督作品。 ある川縁の村が舞台。近親相姦の関係になった兄妹がいてそれを知った村人たちによって迫害を受けます。こう書くともうこれだけでみんな拒否反応を起こしそうですが、パンフレットの監督のコメントを読むと因習にとらわれた人間たちとそれを超える意志の自由さについての映画であって近親相姦はテーマではないそうです。 つまりこの兄妹に対して嫌悪感を抱いたならば映画の中の村人たちといっしょということになります。監督の罠にはまったような感じですが、そこらへんが狙いでしょう。 今回フィルメックスではいろんな作品を見て楽しませてもらいましたが、こういう今までの自分の価値観にない作品を見ることができるのもフィルメックスの面白いところでしょうか。 この作品がクロージングで上映前にコンペ作品の授賞式がありました。結果はすでにご存知かと思いますが、グランプリが「バシールとワルツを」。 これで一般公開に向けて動き出してくれると嬉しいです。 審査員特別賞がどちらも捨てがたいということで「木のない山」と「サバイバル・ソング」。 この賞の副賞は生フィルムなのでスタッフの数を削ってまでフィルムにこだわった「木のない山」にはふさわしい賞だったかもしれません。 「サバイバル・ソング」の監督はすでに離日していていませんでした。 {
2008.12.01
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