fc2ブログ

サンキュー作戦



昨日の新潟日報芸能欄の大久保賢一先生の映画評に「その日のまえに」が取り上げられてました。
映画好きの新潟県民はこの欄を参考に選んでるところもあるように思うので長岡上映会にも目が行ってくれれば。

ところで毎年2月の大手通りはちょっとした名物があります。
それに合わせての便乗を毎年やって勝手に“サンキュー作戦”などと名付けてます。

スポンサーサイト



2009.01.31 | Trackback(0) | 上映会

この地球にルールがあり だからそこ慈しみ合う



当会事務所を訪れた方はお気づきになられたかもしれません。
壁の時計の隣に大林宣彦監督を囲んで笑顔の当会のメンバー達の大きな写真が飾られています。
最も平成3年にNCホールで開かれた大林監督の講演会の楽屋にお邪魔した際のものなので、かれこれ18年も前の写真になります。
以来、当会事務所を大林監督が見守っていると勝手に解釈して飾っています。

当会はこれまでに「青春デンデケデケデケ」「ふたり」「はるか、ノスタルジィ」「水の旅人」「風の歌が聴きたい」「なごり雪」と大林映画を上映してきました。
上映会の他にも大林監督との繋がりが折に触れてあったので、気が向いたらここでご紹介していきたいと思います。

いづれにせよ「その日のまえに」は久しぶりの大林ワールドの上映になります。

2009.01.29 | Trackback(0) | 上映会

秘密よ この想い みつ編みがほどけた



3月15日(日)長岡市立劇場での「その日のまえに」上映会。
チケットが完成してプレイガイドにお願いに回り始めました。

今日現在で文信堂長岡店、島津レコード、長岡市立劇場、長岡商工会議所、長岡市民劇場、キャラメル・ママ、西時計店、みずすまし(三条)等でお買い求めいただけます。
今後、大和長岡店、ジャスコ長岡店、リリックホール、ラ・ボントーン、シネ・ウインド等でもプレイガイドのお願いに回る予定です。

●前売券●
・一般・大学生・専門学校生 1400円
・小・中・高校生、シニア(60才~)、障害・療育手帳をお持ちの方、
介助の方、外国籍の方 900円

またそれと並行してポスター貼りのお願いをしていますが、いつも貼っていただく長岡厚生会館に行ったら閉館になっていました。
取り壊しの準備に入ってるようで、当会はここで「スワン・プリンセス」上映会を5日間開いたことがあり、思い出の地でもありました。
今までどうもありがとうございましたとお疲れ様でした。

上映会の準備、お手伝いいただける方、随時募集しています。

2009.01.28 | Trackback(0) | 上映会

ぐっすり寝て、また明日はいい一日にしましょうね♪

081214_1344~01

1月24日付の東京スポーツ紙上に掲載されていましたが、
「第18回東京スポーツ映画大賞」のノミネートが決定しました。
当会も『長岡アジア映画祭』として審査に参加しています。

ノミネート作には主演女優賞として永作博美が「人のセックスを笑うな」「同窓会」とともに「その日のまえに」でもノミネートされています。

また映画祭上映作「シークレット・サンシャイン」が外国作品賞にノミネートされてたことに一同喜んでいました。

授賞式は3月22日。
事務局長は今年も授賞式に参加できることを今から張り切っています。

2009.01.27 | Trackback(0) | 当会ご案内

さようなら 明日になれば 素直に笑える


本日の上映企画室はチケット制作(版下製作、印刷、切り込み、捺印押し)、伝票書き、ポスターの下張り制作・貼り付け作業などでした。

また皆さんで「その日のまえに」の予告編DVDを見て感想を話し合っていました。
結論はこれは期待できる、と。

チケットは今週中に主要プレイガイドに置いていただくお願いに行けそうです。

作業をお手伝いいただく方、常時募集しています。
詳細はこちらまでご連絡ください。

あと長岡上映会は英語字幕入りのフィルムで上映できそうです。

2009.01.26 | Trackback(0) | 当会の活動報告

神さまよりも人間のほうが、ずっと優しい。


昨日は当会メンバーの女性が昨年、入籍をしたお祝い会を“鎌倉茶房書斎亭”で開いていました。
参加したメンバーが興味津津なのは初めて目にするご主人のこと。
誰もが思ったのは、二人並べば兄妹のように似ているということ。
馴れ初めやご主人のお仕事、趣味など聞いて盛り上がっておりました。

花束、ワイン、寄せ書きといった贈り物を渡し、メンバー一人一人がお祝いの言葉を述べて祝いの夜は更けていきました。

とはいえ主賓を前にしながらも映画談義にふけてしまうメンバーを初めて見たご主人は引いちゃいないか心配しましたが、ともかくこれからもよろしくお願いしますとおめでとうございます!

ちなみにこのお店のご主人は新婦さんをよく知っているのでラストにケーキのサービスが。
式はまだなので一足早くケーキに入刀となりました。



2009.01.24 | Trackback(0) | 当会の活動報告

「その日のまえに」公開

その日のまえに_サ..

当会がお世話になっている映画館、シネ・ウインドと十日町シネマパラダイスではこれから「その日のまえに」が公開されます。

シネ・ウインドでは1月31日から2月13日。
http://www.wingz.co.jp/cinewind/

十日町シネマパラダイスでは1月24日から2月6日。
http://www.t-cinepara.com/

新潟や十日町にお住まいの方は足を運んでいただき、よろしければ長岡のお仲間に長岡上映会をお勧めいただけましたら幸いです。

2009.01.22 | Trackback(0) | お知らせ

「その日のまえに」上映会も音声アシスト

上リール

3月15日(土)長岡市立劇場での「その日のまえに」上映会も、
“長岡音声アシストの会”の皆様のご協力をいただき、
視覚障害者の方のために音声アシスト上映を実施します。
音声アシスト上映は12時50分からの回のみになります。
ご希望の方はこちらまでお申込み願います。

2009.01.21 | Trackback(0) | 上映会

神さまは意地悪だから、

090113_1834~01

本日発売の月刊誌「CARREL」の特集「今、ミニシアターがおもしろい。」に当会も紹介されています。
野暮な突っ込みが聞こえそうですが、手にとって読んでいただけましたら幸いです。

「キャレル」HP
http://www.nidc.co.jp/gm/carrel.html

2009.01.20 | Trackback(0) | 当会ご案内

会いたいから また 明日。



本日の上映企画室はプレイガイド先の宛名書き。

また3月15日「その日のまえに」上映会の上映時間、料金を設定、決定していました。

上映時間は10:15~、12:50~、15:25~ の3回上映

入場料は
前売 一般 1400円、小・中・高校生、シニア(60才~)、障害・療育手帳をお持ちの方、介助の方、外国籍の方 900円
当日 一般 1700円、小・中・高校生、シニア(60才~)、障害・療育手帳をお持ちの方、介助の方、外国籍の方 1000円

以上になります。
これから前売券の制作、報道・マスコミへ上映会のお知らせの告知、宣伝活動に入ります。

お手伝いをしていただく方、常時募集しています。
興味を持たれましたら御連絡下さい。

これから猫の手も借りたくなるほど忙しくなるだろうなと、事務所の押入れを開けたら本当にノラ猫が飛び出て来て驚きました。

2009.01.19 | Trackback(0) | 上映会

映画を呪い返す



「第13回長岡アジア映画祭」2008年9月15日
“第10回長岡インディーズムービーコンペティション 座談会”
画像 左より
朴美和監督 グランプリ受賞 「三河島ジャンケンポン」
ビューラ・ヨーグル先生 (審査員)
下倉功監督 準グランプリ受賞「家族日和」
杉田愉監督 (審査員)
赤羽健太郎監督 準グランプリ受賞「博士の部屋」
五藤利弘監督 (審査員)

*ビューラ先生
皆さん、おめでとうございます。
早速10分しかないから作品について話を聞かせて下さい。
ロケーションの話をしてもらえませんか?
朴さんの非常に魅力ある荒川線を使ってのストーリー。
下倉さんの苦労した桜の木について。
赤羽さん、ちょっと特別な一つの決まった部屋。
それぞれの監督のお話しを聞かせて下さい。

*朴監督
都電は限定された中で撮影されたんですよ。
フィルム作品でリハーサルもせっぱつまって、せかされてみんな焦りながら撮影したのが思い出です。
*五藤監督
物凄い好きな作品だったんですけども、普段どういう作品をお好きなんですか?
*朴監督
山田洋次監督。日本テイストで。
海外ですとケン・ローチ監督とかクシシュトフ・キエシロフスキー監督が好きです。
*五藤監督
やっぱり人間を描くという。
*朴監督
はい、ちゃんと。背景に歴史の問題だったりとか。
*五藤監督
掘り下げるとい重いテーマになるのかなと思ったんですけど、続編といいますか長くしたものを観たいなぁ、そういう期待ができる作品だと思いました。
*朴監督
ありがとうございます。

*ビューラ先生
じゃぁ、下倉さんお願いします。
*下倉監督
ロケーションに関して桜をどうしても狙いたかったんで、4か所都内の方と千葉と、私が千葉出身なもので、千葉の方ということで全て許可を貰ってやったんですが、花見のお客様の方は許可を頂いても関係ありませんので、花見のお客様の邪魔にならないように撮影するのはかなり厳しかったですね。
そういうエピソードがありました。
*ビューラ先生
どうしてそんな苦労して桜の期間を選んだのですか?
*下倉監督
私が作る時はロケハンにかなり時間をかけるタイプなんです。
撮影にいい場所を探すというので桜の期間はほんの僅かですから、前の年の秋から冬にかけて場所を設定するんですけども、その時は桜が咲いてませんので想像でしかないんですね。
まずそれであてずっぽうっていうかこのくらいは咲くだろうというので、計算しまして当日行くとですね車が止まってるんですね(笑)
想像の時は花見客がいませんから車が一切無いんですけども、さぁ撮影だ!桜が綺麗に咲いたぞ、じゃぁ行くぞというと周りに車とか人が多いと。

*ビューラ先生
じゃぁ最後に赤羽さん、お願いします。
*赤羽監督
「博士の部屋」というのはほとんど室内での出来事なんですけど、あの部屋というのは東京の下北沢にあるギャラリーを使用しています。
原作を書かれて劇中に出てきた絵ですとか、オブジェを作ってたナカムラヒトミさんというアーティストの方がいらっしゃるんですけども、その方が下北沢のギャラリーで個展を開かれていて、僕がたまたまそれを観に行ったことが映画制作のきっかけになりまして、ギャラリーを使わせていただきたいということで、ギャラリーのオーナーの方にお話ししましたら、ご快諾をいただきまして使わせていただくという運びになりました。
苦労したという点は実は下北沢の駅のすぐ隣にあるんですね。あのギャラリーが。
ですからひょっとしたら耳のいい方は気付かれたかもしれないんですけれども、電車の音がたまに薄く入ってたり、電車が止まる音ですとか、ホームでチャイムのピンポンみたいなものが薄く入ったりしてるんですけども、結構音がうるさくてしょっちゅう、電車が行ったり来たりしてるものですから音の面で非常に苦労しました。
*ビューラ
実は私、この映画がかなり好きでした。
理由はいろんな分野をこの作品にまとめて作って、それぞれの分野の特徴、ダンス、劇場の分野、ものづくりの工芸、イラスト、アート、そしてもちろん映像の分野も含めてひとつの映像を作った。
そのような実験してる監督の作品を凄く尊敬してます。
*赤羽監督
ありがとうございます。
*五藤監督
ダンスのところで監督自身の気持ちの高まりみたいなのが、そこに入ってきたみたいな感じがしましたけどどうだったのでしょうか?
*赤羽監督
あのシーンは本当に撮る前からあれが勝負であるというか、あれの成否がこの映画にかかってるということは自分でもわかっていて、方法としてはギャラリーの中でカメラマンさんと女優さん、二人残して他のスタッフは全部外に出す。というか他のルームに待機して、僕はあの前から「用意、スタート」と言って、だいたい5分くらい役者さんに自由に踊ってもらって、カメラも自由に撮ってもらうという方法、ライブ感覚で撮ったシーンですけども、本当に現場で撮り終えて現場で撮影した映像を見た瞬間に、あっこれはなんか単なる自主映画っていうところから、ちょっとなんていうのかな外れるというか、単なる自主映画に終わらない映画に出来るな、現場で確信が持てた所なので、僕としても非常に満足できるシーンです。
*杉田監督
僕もこの「博士の部屋」を評価した点が一つありまして、それは数ある応募作の中で唯一、この「博士の部屋」の監督だけがもしかしたら映画の可能性だったり、映画の存在自体にかなり疑問符を投げかけてるのではないかという作り手の意志が物凄く強く感じたんですね。
僕は今回、審査を引き受けるにあたって、数々の国際映画祭を経験しているので、それを踏まえてある基準を設けていました。
それは映画を愛する作家、映画を愛する監督よりは、映画に愛される監督・作家を選びたいことです。
「博士の部屋」はそれに合致して映画だけではなく踊りであり、小道具、美術、音の使い方、いたずらに、脚本をなぞった画と感情を先導するだけの曲の使い方でなくて、時にはプツッと切ってしまったり、時には観てる観客の方の感情を逆撫でするかのように曲の繋ぎを考えられたり、その点をとても高く評価しました。
一見、映画を愛するということは耳ざわりのいい感じに聞こえがちなんですけど、本当に大切なのは映画を愛することではなくて、映画に愛される、もしくは映画に呪われてしまう、で呪われたところ映画を呪い返すぐらいの意気込みを持ってほしいなと。
それでそういう点で赤羽監督はきっとたぶん、その可能性を感じられたので評価しました。

*ビューラ先生
10分過ぎました。短い話の中でしたがありがとうございました。おめでとうございます。

2009.01.18 | Trackback(0) | 長岡アジア映画祭

A MOVIE

その日のまえに サ..

当会次回上映会は
3月15日(日) 長岡市立劇場にて
大林宣彦監督最新作 
「その日のまえに」
に決定しました。

原作 重松清 脚本 市川森一 主題歌 クラムボン
出演 南原清隆 永作博美
    筧俊夫 今井雅之 柴田理恵 風間杜夫
    勝野雅奈恵 宝生舞 寺島咲 高橋かおり 柴山智加 鈴木聖奈 
    村田雄吉 山田辰夫 小日向文世 根岸季衣 左時枝 入江若葉 

そして「第12回長岡アジア映画祭」のゲスト 森田直幸くん
また大林映画の常連、峰岸徹さんの遺作です。

上映時間、料金、プレイガイドはこれから決まり次第、随時更新していきます。
また上映会への作業にお手伝いいただくボランティアスタッフを随時募集しています。
毎週、月曜夜当会事務所にて活動しています。
詳細はお問い合わせください。

*病に倒れ余命を宣告された妻。
 夫と子ども達は妻と共に「その日」に向けて日々、一生懸命生きていく。
 そこに交錯する様々な人々の「生」と「死」を見つめながら。

南原清隆と永作博美を夫婦役に選び、
70歳の新人監督という意気込みで挑んだ新たな『大林ワールド』の誕生です。
ぜひご期待下さい!

「その日のまえに」公式HP
http://www.sonohi.jp/

2009.01.17 | Trackback(0) | 上映会

日常と隣り合わせの



「第13回長岡アジア映画祭」で上映し反響の大きかった作品の一つが東志津監督の「花の夢 -ある中国残留婦人-」でした。

当映画祭は意識して毎回、戦争をテーマにした映画を上映作に入れています。
まず“アジアの歴史と戦争”は避けて通れないものという思いがあるためです。
ここ数年は池谷薫監督「蟻の兵隊」、柴田昌平監督「ひめゆり」と戦争の波に巻き込まれ生き延びた人々と向かい合った力作を上映し監督をお招きして、お話しの後に直に監督とお客様が意見・感想・質問を述べあう場を作って好評でした。

「花の夢」は前記の二作に比べて地味で知名度は低かったものの、上映後に自然と客席から拍手が湧いたのがとても印象的でした。
何より戦中、戦後そして文化大革命を生きのび、さらに帰国後も故国で辛酸をなめるなど過酷な体験を経た栗原さん、さらに彼女と大陸で知り合いその命のために結婚をしたご主人の大きな人間愛、そして若いながらも難しい題材に挑んだ東監督への大きな賞賛がその拍手にあったと思います。

自主上映会は続いてますので機会が合いましたらぜひ足を運んでいただけたらと思います。
http://www2.odn.ne.jp/ise-film/ise2/jyouei/jyouei-hanano.htm

お客様から書いていただきました感想を一部抜粋して掲載します。

*難しいテーマを見る側の人にどしんと考えさせる。。。。
 力のある作品でした。ありがとうございます。(50代・女性)
*大変よく取材されてて感動しました。
 こんなにジミなことをされてる監督様に尊敬を致し深謝します。(70代・女性)
*問題点が多く、今この平和な世代で生まれ育った私にはどうして?何とかならないの?tと考えらせることばかりでした。
 もっと若い世代の人、20代・10代の人達に観てもらいたいと思いました。(50代・女性)
*良かった。人の強さ、あたたかさを感じた。(50代・女性)
*中国残留婦人の存在を知る事ができてありがとうございました。とてもびっくりしました。
 戦争が引き起こしたいろいろな問題はいつまでもいつになっても終わることがないと思いました。(50代・女性)
*戦中に育ち人事でない史実と思いながらも実態はよく知らなかった。 
 それを若い人がドキュメンタリー映画にしてくれてとても感動しました。
 最後まで引き込まれて観ました。
 上映会を広げ学校では教わらない戦争の悲惨を多くの人に知ってほしいと思います。(70代・女性)

2009.01.16 | Trackback(0) | 長岡アジア映画祭

ぽっと 灯りが 燈るような



『第13回長岡アジア映画祭』 9月20日 「花の夢 ある中国残留婦人」
上映後、東志津監督、観客とのティーチインを中心に

MC ここで皆さんから監督に質問や感想がありましたら手を挙げていただけませんでしょうか。
女性の方
「最初の旦那さんがどういうふうになられたのか、その最初の旦那さんとの決着のつけ方といいますか、関係のつけ方。
身籠っておられた息子さんも生きておられたっていうのにちょっとびっくりしたんですけども、、、その辺りは映画で触れられていなかったので、どういうふうにお考えになったのか伺い出来ればと思いす。」
東監督
・はい、やっぱり気になりますよね。あえて映画の中へは入れなかったのでこういう場で、お話しして聞いて下さる方がいない限り永遠の謎で終わるんですけども。
旦那さんはあの召集の後に新京という街に召集されまして、満洲の当時の首都なんですけども、新京に召集されてそのまま戦争が終わってしまったのでシベリアにも行かずにすんで、そのまま日本に帰って来れたんですね。
日本に帰らなくちゃいけなかったんで、栗原さんのことを捜すこともできなくて結局二人はそのままバラバラに別れ別れになってしまって、その日本人の旦那さんは日本で別の方と結婚して栗原さんとは違う道を歩んだという結末で。
その後に一時帰国1975年に里帰りという形で栗原さんが一時帰国をするんですけども、その時に二人は再会して無事を確認しあったというお話があります。

男性の方
「あのう、只今の映画の栗原さんとですね同じようにやはり満州で敗戦を迎えてですね、みんな先程の映画のようにみんな死ぬ思いをしてやっとの思いでね、いろんなことがあるんですが、やっとの思いで日本へ来た。
それで栗原さんとは違う方が、ただ同じひどい目に遭った方が今、東京の地方裁判所で訴訟を起こしているというのを新聞で私、拝見したんですよ。
いづれその辺の判決が出ると思うんですけどね。その方の今迄のを見ると国の対応が非常に国策として送っていながらあういう目に遭ったらね全然見向きもしない。
今度司法に訴えたら救いの手を早く打つ、国の責任でね。生活その他をしていけるように面倒を見るのが日本国政府の立場だろうと私は思うんですよ。
その点、こういう映画を作られて、おそらくあたしなんかより以上にこういうお話を聞いてると思うんですよね。そういうようなことをどのようにお考えですか?」
東監督
・はい、そうですね。いろいろ裁判とか残留婦人の方々が裁判を起こしているというのも聞いてますし、何よりもやはり栗原さんは2回国に裏切られたっていうんですよね。
満州に行く時に騙されて、帰ってきてからも裏切られて、栗原さんの中では1回目はそういう時代だったから自分も行くことを選んだから、それは自分の責任かもしれないなというのはおっしゃってるんですけども、帰ってきてからのその日本政府の冷たさ、対応っていうのは本当に悔しかったって言ってますね。お金とか保障とか云々というのももちろん大事だけども、一言「ごくろうさまでした」
その言葉さえ聞けたらどんな良かったかって思うって今でも本当におっしゃってます。
やっぱり一番大事なことはもちろん国の責任だし、政府が具体的にどういう政策をしていくかというのはもちろんなんですけども、それよりももっともっと前に私達がもっと興味を持って関心を持ってこういう人達が自分達の身近にいるんだっていうことを身に染みて感じて、一般の人達がこういう問題をほっといてはいけないんだっていう、そういう心の持ち方がやっぱり一番大事だなって思うように映画を作りながら、そう思ってたんですね。だからやっぱり国を動かしていくのは私達一人一人だし、もちろんこういう満州の歴史っていうのはなかなか日本では語りたがらないだとか、語られにくいんですよね。
だから原爆とか広島・長崎のこととか東京大空襲とかっていうのはよく平和教育で語られるんですけども、満洲の問題を語るにはまず日本が外国で何をしたかっていうことを説明しなければいけないので、なかなかこう一般の人もなるべくなら聞きたくないっていう、そういう歴史なのでなるべくなら語りたくない、あまりこう受け入れられにくい歴史ではあるんですけども、こういう歴史が存在するっていうこともまず私達がもっと強い意識を持って日本人があの時代にどういうふうに生きてきたかってことをもっと知ろうとする、特に若い人達なんかは知ろうとする努力が凄く大事だなあと思うし、そういう気持ちがいつかいろんなものといろんなことを動かして行くんじゃないかと思うというか、そうなって欲しいと思いながら私は映画を作っています。
こういうことしか言えないんですけども、すいません。

女性の方
「映像の作り方というか猫がとっても凄くいいバイブレーヤーになってたりとか、戦争のそのままの映像を映すんじゃなくて、効果音でそれを思い起こさせる。
テレビのドキュメンタリーだと結構どんどん情報が語られて、なんていうんですかどんどん情報が来る感じですが、間が凄く効果的に使われていて、かつあの効果音が凄く子どもの声とか印象的に使われてるなあと思ったんですが、どういう所から着想を得られたのか、手法的に作品ごとに変えていらっしゃるのでしょうか?」
東監督
・ありがとうございます。この作品が最初の作品なのでこういうことが通用するかどうか自分でもわからないんですけども、この映画に関してはこういう見せ方がベストだろうなと思ったし、一緒に作っていたスタッフもそういう方向に行ったんでこういうふうになったんだなと思います。
映画でして味わえない感覚なんだと思うし、こういうテーマであるけどあくまで映画を作りたいなと思っていたので、映画として面白いというか楽しめる映画に作品にしたいと思いました。
映像に出なくてもその当時の戦争の様子とか映像が出てこなくてもきっと観て下さる方々の、その映画に思いというのが膨らんでいくんじゃないかなっていう、そういう意図というかがありまして敢えて昔の映像を使わなかったとか、あとやっぱり仰る通り音っていうのも凄く大事にしました。
映像よりも音の方が凄く人間の生理に訴えるというか、そういう部分もあると思うんで音っていうのを凄く大事にして観終わった後に観て下さった方の心の中に何かこうぽっと灯りがともるような、そういう作品にするように心がけてなるべくいらないものは省いてというような見せ方ができたらなというふうに思って作りました。

MC 監督の次回作の予定は考えてるんでしょうか?
東監督
・次回作はよく聞かれるんですけども、何も考えてないです(笑)
あの何かもちろん撮ると思うんですけども、まだまだこの映画を立派に育てていかなきゃいけないなと思うし、私は今33歳なので60まで映画を作るとしてもあと30年は映画を作れるなあと思うと凄くのんびりしちゃって先の事を全然考えてないんですけども。
きっとまた映画は作ろうと思って作るんじゃなくて、なんかこう作らずにいられないような状況の中で、生れていくと思うのであと何年後かわかりませんけど、また必ずここに映画祭に呼んでいただけるようにがんばって続けていこうと思います。
あのう本当に自主上映でこつこつと上映していただいている映画で5年10年という長い時間をかけて観ていただけたらいいなと思っていますので、もしまたいつかどこかで出会うと思いますので、その時にはまたぜひ足を運んでいただけたらこういう映画あったなあということを、ちょっとでも思い出していただけたらとっても嬉しいです。はい。

MC こちらにパンフレットがあるんですが、栗原さんのアルバムもあり貴重な一級の資料としていいかと思いますので監督、後で買っていただいた方にサインをお願いしてよろしいでしょうか?
東監督
・サイン、欲しい方がいらっしゃれば(笑)

MC 現在オランダの映画祭の中で第二次政界大戦をテーマにしたドキュメンタリー映画が特集で組まれて何本か上映されています。
「ひめゆり」や「特攻」とともに今日は「花の夢」も上映されています。
それで監督はオランダよりも長岡を選んで来ていただいたのでスタッフから感謝の花束を贈呈したいと思いますので受け取って下さい。
どうもありがとうございました。

花の夢(大吉を抱っ..

花の夢 -ある中国残留婦人-

DATE
97分/日本語
英題 “The Women the War Left Behind ”
監督・撮影 東志津
プロデューサー 伊勢真一
語り 余貴美子
出演 栗原貞子
製作 映画「花の夢」制作上映委員会/いせFILM

story
 1944年、18歳の時に「お国のために尽したい」と希望し満州に渡るものの、日本は敗戦。混乱の中、帰国ができず35年もの間、国に棄てられ「中国残留婦人」として生きることを余議なくされた栗原貞子さんの記憶を辿る。
 今は東京のアパートに静かに暮らす栗原さんの元に孫ほどの若い女性監督が訪れ大陸の過酷な生活を聞きだす。中国に根を張り人生を切り開く姿、彼女を支えた中国の夫に尊い命と人間愛が見える感動作。

2009.01.15 | Trackback(0) | 長岡アジア映画祭

自分が生き残った使命として



『第13回長岡アジア映画祭』2008年9月20日
「花の夢 ある中国残留婦人」上映後 東志津監督トーク

MC (主人公の)栗原貞子さんと出会ったきっかけについて教えていただけませんでしょうか?
東監督
・長時間ご覧頂いてありがとうございました。
この作品はですね、ちょうど1年位前に、去年の7月くらいに完成した作品で、それから1年ちょっと経ちましたが、このように全国各地で少しづつ上映していただいてます。
栗原さんと私が出会ったのは4年位前にひょんなことからというか出会いまして、栗原さんが住んでらっしゃるのは東京の江東区という東京の本当に東の外れの町なんですけども、そこで私がフリーの映像ディレクターとして働いてまして、いろんな方々に地域の情報ですとか町の方々に取材したり、それで番組を作ったりする仕事をしていたんですけども、その地域の江東区の中で名字が日本の名字なんですけれども、中国語しか話せない、日本語が話せなくて中国語しか話せないという人達がたくさん住んでらっしゃる団地とか地域がありまして、そういう方々にも出会う機会が多かったんです。
けれども私はなぜそういう方々が日本にいらっしゃるのか、ということを全く知らなくて恥ずかしながら満州とか名前・言葉は聞いていたんですけども実際に何が起こって、その人達が今、日本にいるのかということを全然知らなくて、どうしてこういう人達がいるんだろうということを自分なりに調べてみようと思って、いろんな方々に話を聞いたり、江東区の地域の方々にお話を聞いてるうちに中国残留婦人とか残留孤児の2世、3世の方々は無条件で日本に帰国出来るということで、その方々のご家族が日本に沢山住んでらっしゃるということを初めて知って凄い驚いたというか、そういう事実があったことを驚きまして、その時にたまたま本で読んだ“残留婦人”という言葉にあたりまして、“残留孤児”という言葉は皆さんもよくご存じだと思うんですけども、“残留婦人”という言葉は初めて聞いて、そういう立場の方々、そういう立場の女性達がたくさんいらっしゃるということに凄く驚きまして、ぜひ“残留婦人”の方々のお話を聞いて、あの時何が起こったのかということを知りたいなぁと思った時に、いろいろ人の紹介とかツテを頼ってこの映画の主人公となった栗原貞子さんに出会うということがあって、それがきっかけで映画を作ったというか撮影を続けながら取材をしていたということですね、はい。

MC 栗原さんや中国残留婦人の方と知り合い撮影を通して変わった点はありましたか?
東監督
・そうですね、変わった点。う~ん、いきなり確信に入ったんで、ちょっとわからないんですけども、あの、たぶんいろんなものが変わりすぎていてわからないんだろうなと思います。
本当にその方々に出会ったことで自分のそのなんてゆうんですかね、人生そのものが変わったんだろうなって思うし、やっぱり一番は今まで私が、今私33歳で栗原さんに出会えたのが29歳で、その29年間自分は何をこう学校で勉強してきたんだろうというか、こういう歴史とか、こういう人達の存在を知らないで何を29歳まで生きてきたんだろうか、とそういう衝撃が凄くあって、情けないというか申し訳ないというか、私達はこういう大事なことを何一つ教えられないで大人になってしまうし、そういうことが許される国の中で教育を受けてきたんだなぁっていうことに対しては物凄く騙されたというか裏切られたというか、大事なことは自分が知ろうとしない限り何も知りえないんだ。だから自分から知らなくちゃいけないんだっていうふうには凄く思いましたね。



MC 映画の完成後、栗原さんの感想は?
東監督
・はい。撮影をしている時は本当に孫とおばあちゃんのような関係で私のやりたいようにさせてくれて、たぶん懐の深さが無かったらこの映画は出来なかったと思います。
で、やっぱり撮られたくないこととか、話したくないことがたくさんあったと思うんですけども、映画の中でもやっぱり楽しそうには話してないですよね、やっぱりちょっと苦しそうに話してる。
撮影した時は気がつかなかったんですけど編集してる時に、あ~こんな苦しかったんだなぁって申し訳ないなって思ったんですけども、栗原さんはいつも言うのは自分が生き残った使命として話を聞きたいという人がいたら話し続けたいというふうにいつもおっしゃってるんですね。
なので本当に二人で作った映画っていうか、そういう感覚があって、あとこういう自分がどうして中国に行って帰れなくなって中国人の旦那さんと結婚したかっていうことをやっぱりお孫さんには話してないし、お孫さんからも聞いちゃいけないことなんじゃないかっていう感じで話す機会がなかったんですね。
だけど、どうして自分がここでこういうふうになったっていうことを残すことができて、凄く良かったっておっしゃってくれたし、お孫さんも自分がなんで中国人のおじいちゃんと日本人のおばあちゃんの間に生まれてなんで今、前は中国に住んでいたのに今、日本にいるのかわからないまま自分のアイディンティティがはっきりしないまま、大きくなって凄くおじいちゃん、おばあちゃんを恨んでた時期もあったけどどうしてそういうふうになったのか凄くよくわかったし、自分のおじいちゃんとかおばあちゃんを誇りに、初めて凄い誇りに思えたというふうに言ってくれたので、それだけでも本当に作って良かったなというふうに思います。

MC ナレーションが余貴美子さんなんですが選んだ理由とどうして引き受けていただいたか教えてください。
東監督
・はい。選んだなんていうのは生意気なんですけども、私が頭を下げてお願いしたという感じなんですけども、余貴美子さんて女優さんがいましてもちろん、あんまりご存知のない方がいらっしゃると思うんですけども、たぶんテレビを見れば、姿を見ればすぐわかると思うんですけども、一番印象深いのはちょっと何年か前に「ちゅらさん」、朝の連続ドラマで主人公の女の子と同じアパートに住んでいた個性的な女性なんですけども、私がただ単にファンだったっていうことがまずあって、余さんの持っている母性っていうんですかね、声の持つ優しさとか強さと優しさを併せ持った母性というのを凄く感じてて、余さんに読んでもらったらきっといい映画になるんだろうな、と思っていきなり事務所に電話してお願いしますと言ったら、映画をまだ完成版じゃないんですけれども、編集の途中のものを見ていただいたら、やっぱりどこか共感して下さるとこがあったようで、「ぜひ、やらせてもらいたい」ということでOKをいただいて、一年経って今日も観て、あぁやっぱり余さんにお願いして良かったなぁというふうに思っています。
栗原さんと余さんのナレーションが対話をしているような、そういう雰囲気が少しでも出来たんじゃないかなというふうに思いました。

MC ここで皆さんから監督に質問や感想がありましたら手を挙げていただけませんでしょうか。

2009.01.14 | Trackback(0) | 長岡アジア映画祭

ふるえる このこころ みつ編みをほどいた



本日の上映企画室は次回上映作について話し合い。
あと映画祭にてお客様から書いていただいたアンケートを
パソコンに入力してまとめておりました。
お手伝いいただける方、随時募集しています。

ちなみに事務所には先日、トラと違う猫がまた遊びに来たり、
さらには年明け早々、扉の前は雨漏りがしたりといろいろと賑やかでした。

*画像は今、エドワード・サイードの遺志が必要ではないかという思いで貼っています。

2009.01.13 | Trackback(0) | 当会の活動報告

いつもナッシングという答え



『第13回長岡アジア映画祭』2008年9月21日「チョコラ!」上映前 小林茂監督舞台挨拶より

小林監督
本日は「第13回長岡アジア映画祭にお足もとの悪い中、お越しいただきまして本当にありがとうございます。
本日は東京の方からスタッフが来てくれておりますので自己紹介させてもらいたいと思います。

「檀上に上がれと言われまして編集を担当させていただきました秦岳志と申します。
この映画、これから観ていただくんですが、小林監督の透析をしながら一年半、私の方はご覧のように家族が子育てをしながら一年半という感じで、ある意味ゆっくりとしたペースでじっくりと取り組まさせていただきました。
この映画観ていただければ、それでわかっていただけると思いますが、とにかく映っている子どもたちの映画だと思って作らせていただきました。
子ども達の気持ちをいろいろ考えながら観ていただければと思います。」

小林監督
どうもありがとう。病院へ送り迎えしていただいて、それで私が秦さんの家から1分くらいのアパートを1年半ほど借りてやりました。
私達が3時間20分ほどやってもう切れないという時に救出に来てくれたのが山崎さんといいます。ご紹介いたします。

「どうも山崎と申します。僕は実は映画の仕事を離れて久しいんですが、思いがけず監督と編集の秦さんに声をかけていただきまして、もうだから映画作りとか、そういう現場に携わるとはもう無いかと思っていたんです。
それが突然でしたけど見せていただいてとても感激しまして、まだ完成尺の倍くらいあったんですけど、秦君とやはり子ども達の気持ちをどうやって伝えるかということを考えて、いい本当に凄くいい作品に仕上がったと思っています。自負しています。
こういう機会を二人から与えていただいて本当に光栄に思っています。
本当にいい映画です。楽しんでください。よろしくお願いします。」

小林監督
ありがとうございます。山崎さんはBOX東中野という映画館の支配人を長いことやらされて、そこで東京でドキュメンタリー映画を劇場でかけるという画期的な事をやって今どこの映画館もドキュメンタリーをかけていられるような状況になりました。

じゃぁ、秦さんのお子さん。
「こんにちは」
「編集の秦の妻です。突然、檀上に上がって何をお話ししていいのやらわかりませんが、一年半ほどちょっと私達の家族の都合もあって、小林監督には東京の方に出てきていただいて、とても大変な生活をなさってたと思うんですけど、映画のサポートの仕方もいろいろあると思うんですが、観て下さる皆さんも強烈なサポートだと思いますし、私の方は編集の秦を精神的に支えられるように、あるいはハッパをかけて映画をいいものにしてもらうように精神的に、お尻を叩き続けることで後方の後方支援をしてきたつもりでおります。
今日は編集の最中には一度も見せてもらえなくて、完成してからじゃないと駄目だというふうにずっと言われてまして、今日は初めて私もみなさんと共に見させていただきます。
楽しみにして皆さんと一緒に楽しみたいと思います。」

小林監督
岩波書店の方から来ていただきました、縁がありまして私の「僕たちは生きているのだ」という半生記の本とそれからびわこ学園の重症児の人達の粘土の30年を本にしていただきました大山さん、自己紹介お願いします。

「岩波書店に勤めております。大山と申します。映画ではなく本の方で小林さんとはいろいろと関わらさせていただきました。
『僕たちは生きているのだ』というジュニア新書で出させていただいたんですけども、小林さんの映画にある人への温かい視線といいますか、映画の視線というのがどこから来ているのか、というのがとてもよくわかる本です。入口のところで販売をお願いしおりますので、ぜひ開けてご覧ください。
粘土の本は私担当いたしまして小林さんとも世話になりながら、とっても楽しい本が出来たと思いますのでぜひお手に取っ手いただけたければ幸いです。よろしくお願いします。



小林監督
うまいねぇ。じゃぁ彼らが席に着くまで時間がありますので、ここでお引き取り願い、ありがとうございました。
彼らが席に着くまで私がお話することになりますので、今日は二回目なんですけども私はぜひ二回目ももう一度観たいと思っているんですが、これは長岡市の皆さんを始めとしてたくさんの人たちのカンパによって作られています。カンパをいただいた方々に十分お手紙とか途中経過をお知らせすることが出来ず、やってきましたけれども3月に完成直前試写会というのを長岡でやりました時はカンパしてくれた人達の全員の名前が延々とあがったんですけども、実際にはそういうことが出来ないものですから、少し呼びかけ人の代表の方ですけども、そういう形になっております。
事務局をやっていただいたのが、あるいは後援ですね、カンパをする母体として目黒さん、蒔絵師なんですけども彼がデスクをやってくれました。
今日来ておりますのでご紹介します。目黒さん、どうぞお立ちください。
それからもう一人、私が帰る時に荷物が沢山なのでケニアにも来てもらったんですけども、小林さん。
今日は映写室の方に行ってもらってます。お願いしますよ。

その他、皆さん一つ一つにお礼を申し上げなきゃならない人達がここにいらっしゃるんですけども、映画の方はケニアのナイロビから40~50km北に行ったティカという赤道直下の町です。
平均気温22℃くらいで夏の軽井沢みたいな感じですね。なんでかというと1500m~2000m位の高さがあって、アフリカっていうのは海岸沿いから急激的に大地の方へ上がるんですね。
この夏は過ごしやすいんですけどもちょっと南半球側に寄ってますんで、新潟の夏はむこうにすると冬になりますんで、私が行った6,7,8月位はとても寒かったです。そして段々と暖かくなってきていて、2006年の6月から11月までの5ヶ月間撮影にあたりました。

それでアフリカは、、、みんな戻ったかな?あっ、いますね、はいはいわかりました。じゃぁ手短にしますけども、94年にウガンダのエイズ孤児の取材をしたことがきっかけで、その時にこの映画にも出てきます松下照美さんが徳島の代表として同行されます。私たちは長岡から渡辺さんという方と二人だったんですけども、そんな関係もあってテルさんが毎年のように長岡に寄ってくれております。
テルさんはその後、ウガンダで二年間ボランティア活動をして陶芸家で徳島の山に住んでた方なんですけども、すっかり子ども達に魅せられてモヨチルドレンセンターというNGOを立ち上げております。
それで04年の八月に長岡に来た時に蕎麦を食べながら、コバさんそろっと10年になるから映画を撮ってくれないかというお話があって、私も常々子ども達の事は気にかかっていたんですども、もう私は透析をする一歩手前だったんですね、それでもう行くんだったら今しかないと参りまして、なんとかもう血尿が止まらなかったり凄い血なもんですからねガタガタガタガタと。
病院に通いながらもなんとか持ちまして、帰ってきてからはすぐに透析の生活に入り良かったなぁと。向こうで透析に入りながら撮影は難しいので、そのつもりでなんかもうアフリカへ行くのがひょっとしたら最後かなあというつもりで作りました。
でもちょっと透析して一年半くらいになるんですけどもナイロビくらいなら行けないこともないかなとも思ったりしています。

常日頃、町やスラムから出てくる子ども達がもうたくさんおります。その原因をずっと探りましたけれども、いつもナッシングという答えです。
だからそれは皆さんとともに考えていただければよろしいかとも思います。
ただ黒い肌の子ども達なんで私も最初見た時は誰が誰だか全然名前と顔が一致しないのは、日本人の子どもだったらそれほどでも無いんですけど、そういうことで皆さん初めて観るわけなんで、字幕で名前が出たりするわけですけどほとんどわからないと思って下さい。
いいですか、それでまぁ気楽なつもりでご覧いただければと思います。
それに何人の子どもが出てますけども、いろんなことがありますけどもナレーションも入っておりませんので気楽に観ていて下さい。

子ども達がシンナーを吸うシーンがありますけどもプラスティックのウイスキーが入ってるような酒ビンなんですけども、ここにシンナーでなくて自転車がパンクした時に修理するゴムノリってわかります?
ゴムノリを入れてそれでトルエンが入ってますので、僕も吸ってみたんですけどもとても頭が痛くなりましたけど、まぁ最初にタバコを吸った時クラクラするのと同じだと思ったんですけど、それが慣れてくれば空腹を紛らわせたり、寒さを防げたりということでほどんどの子ども達がシンナーに依存しておりました。

それで今日は「長岡音声アシストの会」のご協力を得まして解説が入ります。
音声アシストの場合はこの音が全部聞こえますので、例えば字幕が出てきたような場合、子ども達は何をしているかとうようなことを台詞の合間合間に情報を流していくわけですね。
それじゃあよろしいでしょうか。開始がちょっと遅れましたけども、それでは始めたいと思います。
じゃぁごゆっくり、終わりましたら対談もございますので、どうもありがとうございました。

2009.01.12 | Trackback(0) | 長岡アジア映画祭

ふるえる この肩に みつ編みがほどけた



お誘いを受けてシネ・ウインドの新年会に初めてお邪魔しました。
会場は釜めしで有名な新潟の食事処。
テーブルにはカレー鍋が用意されており、
隣席のテーブルにお座りになられてた方が火加減を指示し手際よく食材を入れて、
鍋奉行にしても随分手慣れた手つきだなぁと思って見てたら
その方がなんとこのお店のご主人だったことにまず驚きました。
お店のご主人も新年会を楽しみ一緒に鍋を囲み参加者と談笑する。
垣根の無いウインドらしいと思っていました。

周囲には顔見知りの方が座っていたので映画談義にふけていましたが、
昨年の映画では「ラスト、コーション」が良かったという人が結構いて頷いていました。

さすがにウインドだと思ったのは凄い職業の方が低姿勢でビールを注ぎに回ってきたこと。
まず普通に暮らしていたら絶対接点のない職業なので話題は豊富。
今度、長岡にいらしてじっくりお話を聞かせて下さいとお願いをしました。

嬉しかったのは自己紹介の中で昨年は300本近い映画を観賞されたという方が、
長岡アジア映画祭にも足を運び20本観ていただいたこと。
後でお礼とともにお話しをさせていただいたら、
昨年に観た全ての映画の中でベスト1は映画祭で観た
「鳳鳴 中国の記憶」だったこと。
あのお婆さんの語りに魅せられた方とお話しできてとても良かったです。
またここ4回連続で上映している「全景」の台湾大地震ドキュメンタリーも
全てご覧になってられたそうで、
決して派手とはいえない映画群を毎回観に来ていらっしゃることに、
こんな方がいらしたことに励みになりました。

鍋の後はこのお店のメインの釜めし。
鮭、鶏、蛸と各テーブルを食べ周り堪能していました。
御馳走様でしたとありがとうございました。

お話しをさせていただいた方々に“すくらんぶる#59”をお配りし、
帰り際には調子に乗って、お店にも置いていただきました。
見つけたらぜひ手にとっていただけたらと。

ついにで新年会参加前にウインドで観たのが「休暇」。
死刑に関わる人々を描き、ずしりと重い映画で後を引きました。
折り目正しく厚みのある演技陣の中、
我らが大杉漣さんが脇役として全編に渡って映画を引き締めてたのも良かったです。


2009.01.11 | Trackback(0) | 当会の活動報告

不思議に この季節 一番 好きになる

本日のミーティングは当会発行のフリーペーパー“すくらんぶる“新号について話し合っていました。
編集スタッフは随時募集しています。
興味のある方、ぜひご参加ください。
その際は事前にご連絡願います。

それで毎週月曜夜は事務所にて上映企画室のミーティングです。
ただし次週12日は祝日なのでお休みし、次回は翌13日(火)夜に事務所で開きますのでよろしくお願いします。
この上映企画室も随時、お手伝いいただける方を募集しています。

ワイン差し入れにいただいたワイン!ありがとうございます。

2009.01.09 | Trackback(0) | 当会ご案内

雲外蒼天

望月美寿々

十日町シネマパラダイスより毎月、劇場のポスター及び上映作のチラシが送られてきます。
今月目に留まった上映作は「ホームレスが中学生」(「ホームレス中学生」ではない、念のため)。
なんだか凄いストーリーのようですが、中学生役のヒロイン、望月美寿々さんはなんと長岡出身とのこと。
さらに今月24日には上映と共に彼女の舞台挨拶があるそうです。
詳細は十日町シネマパラダイスのHPで。
http://www.t-cinepara.com/

今月はT・ジョイ長岡で新潟市出身の高山侑子さん主演「空へ」も公開されることを思うと、ますます新潟から逸材がどんどん輩出してるようで応援のしがいがあるように思いました。

(画像は望月美寿々さん)

2009.01.07 | Trackback(0) | お知らせ

新年会のお誘い

良寛さま

今年も当会恒例の新年会を以下のように開催します。
ご参加を希望の方は当会まで事前にご連絡願います。
TEL/FAX:0258-33-1231
メール:tsukurukai@lds5.com


日時  2月7日(土)午後7時~
会場  大衆酒場 みづよし
     長岡市宮内3-7-10 
     電話 0258-36-0886
会費  3000円

2009.01.06 | Trackback(0) | 当会ご案内

君を想う気持ちで 時を越えて行けるから

長岡駅イルミネーション

毎月第一金曜日は長岡商工会議所でミーティングを開いてますが、
次回1月9日夜は当会事務所にて開きます。
以上、連絡まで。

2009.01.05 | Trackback(0) | 当会ご案内

愛を纏って

立て看板

お正月休みの当会事務所は帰省した映画監督や東京特派員が頻繁に出入りしました。
そして暮の望年会で流した映画祭の裏表ビデオを見て大いに受けておりました。
お時間のある方と新年会がてら、お酒を酌み交わしたりと楽しい時間となりました。
今回は二人の東京特派員より最近の渋谷のミニシアター事情について詳しく教えていただき、ふむふむと。
次にまた顔を合わすのはいつになるかわかりませんが、また逢う日までお元気で!

2009.01.04 | Trackback(0) | 当会ご案内

ウインド詣

けやき通り

例年お正月は神社に初詣に言った後、ぽっぽ焼きを手土産にシネ・ウインドへ新年のご挨拶に伺います。
代表、専従の皆様に本年もよろしくお願いいたします、と。

それで映画を観るのですが、上映してたのは「接吻」。
専従の方曰く、見終えて人と話したくなるような映画でリピーターもいます。
なるほど、一途すぎるヒロインに共感できるか否か、
タイトルの「接吻」の意味、
あの内向的なキャラのヒロインにあえて、あのカラダの女優を起用した作り手の意図など、一筋縄でいかない魅力の映画でした。
そして仲村トオルさんはますますステキな男優になっておりました。

初詣をした神社の境内は沢山の屋台が並ぶ中、ぽっぽ焼きの屋台ばかりが行列。
新潟のぽっぽ焼き人気をつくづく実感しましたが、
ひいたおみくじは「七転び八起きという言葉がある、前向きに」等と、
何やら意味深で励まされるような文面が並びそれでもちょっとほっとしました。

2009.01.03 | Trackback(0) | ごあいさつ

年賀状



当会に年賀状を贈っていただいた方々、誠にありがとうございます。
例年、届きました年賀状は事務所の壁にズラリと並べて貼っています。
事務所にいらした際はぜひ足を留めてください。

ちなみにこちらからの年賀状は大晦日の暮れの暮れにようやく投函できたので、届くのはまだ先になると思います。
気長にお待ちください。すみません。

2009.01.02 | Trackback(0) | 当会ご案内

雨の降らない星では愛し合えないだろう

20060922_第11回長岡アジア映画祭_007

謹賀新年。
市民映画館をつくる会では新年2009年もお手伝いいただくボランティアスタッフを募集しています。
上映会・映画祭の準備作業や当日運営、フリーペーパー“すくらんぶる”の編集など。
今年は今までと違う会場での上映会も検討しています。
また活動場所は市民映画館をつくる会事務所にて、
毎週月曜と金曜の夜に集まっています。
なお、毎月最初の金曜は長岡商工会議所にて開いてます。
興味をもたれた方はぜひご参加ください。
詳細についてはお問い合わせください。
新年最初のミーティングは1月5日(月)夜7時30分~になります。
以上、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2009.01.01 | Trackback(0) | 当会ご案内

«  | HOME |  »

プロフィール

市民映画館をつくる会

Author:市民映画館をつくる会

〒940-0066
長岡市東坂之上町2-2-2
スズランビル4F

TEL/FAX
0258-33-1231

メールお問い合せ:
tsukurukai@lds5.com



http://www.mynet.ne.jp/~asia/
映画祭実行委員随時募集!!


携帯からもご覧頂けます。
QRコード

カレンダー

12 | 2009/01 | 02
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31

ブログ内検索

カウンター