「第11回長岡インディーズムービーコンペティション」の作品受付の締切が迫ってきています。 2008年以降制作で30分以内の作品を募集しています。 締切は2008年7月10日(金)消印有効です。 詳細はこちらからお願いします。http://www.mynet.ne.jp/~asia/14th/11th_compe/11th-compe.PDF またこの度、審査員に新潟市出身の脚本家、中野太さんも参加していただくことになりました。 代表作に重松清原作、緒方明監督「饗宴」、新潟ロケを敢行した坂本礼監督「薔薇」など。 よろしくお願いいたします。
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2009.06.30
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今晩の上映企画室は映画祭のプレイガイドの伝票チェック。 チラシ配布のお願い、作品の画像チェックなど。
2009.06.29
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今晩のミーティングは映画祭の企画・作品選定、作品スケジュールが大詰めとなり仮の案を作って様々な角度から検討を重ねていました。 一段落をして先日結婚式を挙げた新婦が式の写真を持参してきたので、皆さんで見ておりました。 同じ式場で挙げたメンバーもいたので、あれやこれやと話が弾んでいました。 (筆者は蚊帳の外) そして最後にマイケル・ジャクソンの話題となり「スリラー」を流して追悼していました。 事務局長はその昔、コンサートに行ったそうです。 というわけで『第14回長岡アジア映画祭』は9月15日~9月21日に今年も長岡リリックホールで開催します。 どうぞよろしくお願いいたします。
2009.06.26
| Trackback(0) | 当会の活動報告
「ドキュメンタリー映画は作り手が撮影前にあらかじめ完成した時を予想した枠、その枠をはみだしたところに大きな面白さがあるんだよ」 小林茂監督宅にお邪魔したときに印象に残った言葉です。 そんな小林監督がドキュメンタリー映画に足を踏み込んだのは、第一人者であり福祉を生涯のテーマにした柳澤寿男監督の現場についてから。 そして撮影監督としてカメラを回した最初の映画が佐藤真監督の「阿賀に生きる」。 ドキュメンタリー映画として当時は異例の大ヒットを記録、おそらく新潟県民にとっても最もよく知られたドキュメンタリー映画ではないかと思います。 阿賀野川流域に住む魅力的な老人たちのたたずまいや言葉に観る者は“ドキュメンタリー映画”という堅苦しいイメージから大きくはみだしたものを感じとり、多くの人に“ドキュメンタリー映画は面白い”と認知させた名作だったと思います。 その後、佐藤真監督、小林茂撮影監督で続編「阿賀の記憶」を発表。 前作にあった祝祭的な場面は影を潜めて、主な登場人物がすでに不在となった時の流れを前に寂しさを感じる作品になっていました。 実は他にも佐藤真監督、小林茂撮影監督で企画がありロケハンもしたそうですが、残念ながら延期となり、それも佐藤監督が亡くなったために実現できなくなりました。 この度、6月27日より十日町シネマパラダイスで「阿賀に生きる」が公開されます。 今も全国で上映会が開かれている筈ですが、地方の劇場で公開されるのは異例のことだと思いますので、この機会にぜひ足を運んでいただけたらと思います。http://www.t-cinepara.com/ カラー/115分/日本語 英題“LIVING ON THE RIVER AGANO” 監督:佐藤真 撮影:小林茂 製作:阿賀に生きる製作委員会 阿賀野川流域の民家に7人の若者が住込み阿賀野川の「心」を撮ろうと三組の老夫婦に向けてカメラを回した。新潟水俣病患者の日常をとらえ今も全国で上映会が開催される日本ドキュメンタリー映画史上に残る名作。 長岡在住の小林茂が初めて映画の撮影を担当。公開から10年を記念し上映。登場する老人の多くは亡くなったものの、これからも語り継がれるだろう彼等の輝く笑顔がとても素晴らしい。92年度キネマ旬報第3位。 (第7回長岡アジア映画祭、チラシから) あと本日の新潟日報朝刊の1面コラム“日報抄”が「チョコラ!」に触れています。http://www.niigata-nippo.co.jp/nipposho/index.asp
2009.06.24
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「柴田監督とはずっとつきあっていきたいんだよ」 当会のお父さんが折に触れて出てくる言葉です。 柴田監督とは「ひめゆり」の柴田昌平監督のこと。 昨年の「ひめゆり」長岡上映会、映画と共に柴田監督に間近に接してその人柄にすっかり魅了されたようです。 今年、川崎市アートセンターで開かれた「ひめゆり」新年会にもお父さんは出席。 自己紹介で「ひめゆり」の感想ともに「娘が戦争に巻き込まれたら堪らないものがある」と平和への想いを熱く述べていました。 新年会の出席者の中には元「ひめゆり」学徒隊で映画でも証言する与那覇百子さんも。 お父さんの話に深く頷いてました。 柴田監督と交流できたきっかけのはやはり「ひめゆり」を映画祭で上映出来たこと。 以来、合計3回、長岡で「ひめゆり」を上映でき監督はもとより、奥様の大兼久由美プロデューサーも長岡にお越し下さり、『すくらんぶる』に原稿を寄稿していただくなどこちらの依頼を快く引き受けて交流させていただいてます。 そんな柴田監督が現在撮影中の新作が「森聞き」。 大兼久プロデューサーから先日、「森聞き」の様子が届きました。 “山の暮らしの知恵、達人とひなのような高校生の対峙・・・どう構成して伝えられるか、模索しています。 来年の公開めざしてがんばります。楽しみに待っていてください。” ぜひ長岡でも上映したいと一同完成を心待ちにしています。 もちろんまた「ひめゆり」も上映出来れば。 今日6月23日は『沖縄慰霊の日』 「ひめゆり」を観ただけに特別な日です。 「ひめゆり」公式HPhttp://www.himeyuri.info/
2009.06.23
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「あぶない刑事」「相棒」と大ヒットした刑事ドラマの監督として知られる長谷部安春監督が77歳で亡くなりました。 ずっと現役の監督という印象だったので77歳と知りちょっと驚きました。 年齢を感じさせず第一線での活躍を最後まで貫いたことと思います。 長岡アジア映画祭ではここ3年で、昔の長岡で撮影した日活映画を上映しました。 上映作は「青春の鐘」「爆弾男といわれるあいつ」「その壁を砕け」の3本です。 このうち1967年公開の「爆弾男といわれるあいつ」が長谷部監督の作品でした。 知人の謎の死と現金輸送車強奪事件の真相を突き止めるために“長岡”にやってきたマイトガイ小林旭と東京ぼん太。 観光会館の湯に浸かり、消雪パイプに目を白黒させてるうちに事件の真相に迫っていきます。 途中、長岡まつりのシーンも挿入されて大手通りの大民謡流しは当時も大盛況だったことが伺えました。 そして全てを操っていた黒幕の職業がなんというか“長岡”らしいように思いました。 後期の日活アクションをリードした長谷部監督だけに当然アクションシーンはダイナミック、信濃川河川敷でマイトガイがノースタントで挑むアクションはかなりハラハラさせ、 オープニングのタイトルバックは今の時代でも斬新でスタイリッシュ、それまでの日活映画のイメージと一線を画す印象を持ちました。 長岡をハードボイルドの街に染め上げた長谷部安春監督に合掌。
2009.06.22
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大幅に遅れてるスケジュールの中、 映画祭パンフレットチラシの広告協賛のお願いに回ってます。 この不景気の中、ご理解いただき快く協賛いただけるお店の方々、本当にありがとうございます。 “ここで終わったら楽だろうという気持ちと、 でもまだいけるだろうという自分との戦い” 報道で目にした言葉ですが、改めて偉大な人でした。 というわけで交渉ごとの電話のBGMに「スパルタンX」を流して奮い立たせたりしてます。
2009.06.20
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本日のミーティングは映画祭について叩き台の仮スケジュールを作ってケンケンゴーゴーと検討していました。 希望する作品・企画が全部実現できたら何も悩まずにすむものをたくさんの課題が大きく積み重なってるのを再確認したようでした。 そんな中で当映画祭をご理解いただいてる映画人がご協力いただけるのは本当に嬉しいです。
2009.06.19
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S東京特派員の映画祭巡礼記。ショートショートフィルムフェスティバルのレポートが届きましたので掲載します。 今回初めて行ってきたのはショートショートフィルムフェスティバル&アジアです。 今年11回にもなるのに今まで一回も見たことがなかったのは短編は長編に劣ると思っていたからです。 低予算だし有名な監督もいないしスターが出ているわけでもない。という理由であまり魅力を感じなかったからです。 実際に見てみるとさすが3500本からよりすぐりが上映だけに水準の高い作品が多く見応えがあり短編はつまらないという先入観を改めました。 海外作品に比べれば見劣りするものという印象の日本作品についてもまた見たくなる「太陽の石」のような作品もあり収穫でした。 他にアジア部門の作品で印象に残ったものをあげると、「深い河」中国作品。渡し舟の漕ぎ手の青年と旅行者の若い女性のつかの間の交流を描いた悲しい話。河辺の風景とカメラワークの素晴らしさも。この若い女性役のルー・ピンさんがベストアクトレスに選ばれてました。だから来日してたのか… 「小言」韓国作品。ワンカットの作品で最初から画面の外にいる息子に小言を言いまくる母親がずーっと映し出されます。 映画の中の息子並みにあーもううるさーいと思ったあたりでストンとオチがつきます。 インターナショナル部門ではイスラエル作品「テルアビブへ続く道」がテロリストの脅威を一般人の目線で描き迫力がありました。実話に基づいた話だそうです。 小説の長編と短編もどちらが上ということもなくそれぞれに魅力がありますが、映画の場合も同じようなことが言えるかもしれません。 ただ映画の場合、小説以上に長編に特化した世界なので短編を普通に楽しむのは現状難しい。 でもこの映画祭は横浜に短編映画専門の映画館で常時上映も行っているのでやがては短編型映画作家が生まれてきて、新作のたびに映画館に行くようになったら楽しいと思いました。http://www.shortshorts.org/2009/
2009.06.17
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昨晩の上映企画室は昨年の映画祭アンケートのまとめ、映画祭上映候補作についてまたも深く突っ込んでの検討、そして明日参加するミーティングについて事前の打ち合わせ等。 わりと堅苦しく思われるかもしれませんが、途中何度も脱線し最近観た映画、今度観たい映画のトークで盛り上がってました。 なかでも「それでも恋するバルセロナ」がそろそろ公開されるので、それぞれお気に入りのウッディ・アレンの映画を振り返ったりと。 結構、いい歳になったと思いますがいろんな意味で今も現役なのは嬉しいもんです。
2009.06.16
| Trackback(0) | 当会の活動報告
“血を流してお前を喜ばせてきただろう” 映画と見事に共鳴するブルース・スプリングスティーンが唄うエンディングテーマが流れ、それまでの劇中のレスラーと共に、現実に命を削ってリング上で幕を降ろしたレスラーの生き様が思い浮かび重ねて涙したプロレスファンは多いと思います。 “はっきり言ってプロレスはサーカスだよ でもオリンピックより凄いことを毎日やってるんだ” うろ覚えですが黄金期の四天王プロレスを毎日裁いてたレフェリーの重みのある言葉。 当会事務所近く、レスラー達の血と汗が染みた“聖地”長岡厚生会館も今は取り壊されてしまいました。 などと無理やり当会と絡めようとしましたが、やはりうまくいきません。 これを書いてる筆者は前座の黄金カードと当時呼ばれた越中・三沢戦から姿を目にしてるだけに悲報に触れて言葉を失ってしまいました。 この場を借りることを許していただけたらと。 『三沢選手、本当にお疲れさまでした。』 映画「レスラー」は田舎の巡業に来たプロレスをナマで観戦したことがある者にとって紛れもなく傑作。 あの高揚とうらぶれた空気感、レスラー達の心意気と人生が胸に染みました。 しかし控え室でもミッキー・ロークと堂々と渡り合ってたネクロ・ブッチャーのメガネのインテリ然とした姿、リング上とのキャラのギャップ、この奥深さ。
2009.06.15
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「どんなことがあってもこの日は行くよ」 『シャイン・ア・ライト』のチケット清算に三条のプレイガイドを訪れた時のこと。 「どんな方が買われましたが?」 というこちらの質問にお店の方は、 50代ぐらいのストーンズファンの男性が 「どんなことがあってもこの日は行くよ」 と言って買って行ったそうです。 当会の上映会は大抵1日限りなので、 どうしても「シャイン・ア・ライト」を観たいという心情が激しく伝わるように思いました。 はたしてその方は観に来ていただけたか、 観たらどんな感想をお持ちになられたか気になりましたが、 そういう熱のある方がいられたことは励みになりました。 ちなみに画像は三条の電信柱によく見られるもの。 5年前の7,13水害を忘れないようにかけられています。 その地域がどれくらい浸水したかで表示が変わってるのですが、 浸水1.9mって、、、
2009.06.14
| Trackback(0) | 当会の活動報告
恒例のS東京特派員の映画祭巡礼レポート。 今回は昨日のショートショートフィルムフェスティバルの模様をと思ったのですが、お仕事で都合がつかず、代わってママさん東京特派員が参加しましたので送ってもらいました。 *お疲れ様です。 作品もおもしろかったですが、わたしの感想は・・・ユ・ジテかっこいい、背高い、スターのオーラ。 作品も写真でできていておもしろかった。 人がいっぱい並んでいてびっくりした。会場に入ったら椅子が並んでいてびっくりした。 日本語英語韓国語が話されインターナショナルだった(色んな国籍と思われる人々がいた) クリエィティブ系に携わってると思われる方々&監督の知り合いが多かった(盗み聞き) 隣に座ってたのが昨年グランプリ受賞した鈴木監督だった。http://www.shortshorts.org/2009/
2009.06.13
| Trackback(0) | ごあいさつ
その昔、当会が長岡上映会に協力した「縄文うるしの世界」の飯塚俊男監督よりDMが届きましたのでご紹介します。 お弟子さんの渡辺智史監督作「湯の里ひじおり 学校のある最後の1年」が完成しこれから山形県はじめ全国で上映されるそうです。 録音スタッフには「チョコラ!」で整音を担当した久保田幸雄さんの名も。http://hijiorieiga.blog.shinobi.jp/
2009.06.12
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小林茂監督からメールが届きましたので掲載いたします。 みなさま BCCにて大変失礼いたします。 映画「チョコラ!」、テレビでのオンエアのご案内です。 これからもよろしくお願いします。「チョコラ!」監督・小林茂 明日12日(金)のNHK BS「きょうの世界」 で、松下照美さんと「チョコラ!」が紹介されます。 またまた夜遅い時間ですが23:15頃~の予定です。(大きな事件等が起きた場合には中止となる可能性もありますのでご了承ください) ●NHK BS きょうの世界 http://www.nhk.or.jp/kyounosekai/ 映画「チョコラ!」の方は、渋谷での上映は明日で終了です。 皆様、本当にお世話になりました。 関東地区での追加の上映については、決まり次第公式サイトの方でご案内させていただきます。 そして今週末から札幌、函館、広島での公開が始まります。 また14日には福山、20日には鹿児島の鹿屋市で、上映や講演に加えアフリカの文化を肌で感じられるような多彩なイベントとして上映会が行われます。(鹿屋市ではなんとサカキマンゴーさんのライブ付きです!) 6/27からは大阪、佐賀、7/4からは名古屋、7/11から徳島、8/22からは富山など各地で順次公開予定です。 お近くで公開の際にはぜひぜひまわりのお知り合いもお誘いの上、会場へ足をお運び下さい。 「チョコラ!」公式サイトでは、この間のトークショーやサカキマンゴーさんのミニライブの記録映像、各地での上映会のレポート、ブログなどでの紹介記事などのご紹介を、ほぼ毎日更新中です!http://www.chokora.jp それでは今後とも「チョコラ!」を、どうぞよろしくお願い致します!
2009.06.11
| Trackback(0) | お知らせ
「第11回長岡インディーズムービーコンペティション」の審査員は「9/10 ジュウブンノキュウ」「カフェ代官山Ⅲ 」の東條政利監督、「モノクロームの少女 」の五藤利弘監督と長岡出身の映画監督、そしてにいがた映画塾 の井上朗子代表を予定してます。 締切は7月10日、2008年以降に制作された30分以内の作品が対象です。http://www.mynet.ne.jp/~asia/14th/11th_compe/11th-compe.PDF
2009.06.09
| Trackback(0) | 長岡アジア映画祭
今晩の上映企画室は各地の映画学校へ「第11回長岡インディーズムービーコンペティション」のご紹介のDM作成。 “すくらんぶる”次号の編集、あとプレイガイドの清算報告等など。 映画祭上映作についてもかなり込み入ったことを話してました。
2009.06.08
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高柳集落の集会所近くの神社へスタッフ、俳優、エキストラ一同移動。 ここでは境内で出征兵士を囲んで村人一同、万歳三唱して祝い、また「出征兵士を送る歌」を歌って行進というもの。 兵士役の大西信満さんを中心にその隣には妻役の寺島しのぶさんが申し訳なさそうに村人にお礼をし、村長役の河原さぶさんの万歳に合わせて村人たちは三唱。 皆さんに敬礼をしながら先頭を大西さんが歩き、村人が続くというシーン。 しかしここで大西さんの一連の流れ、動きに納得のいかない若松監督が「ちゃんと自分で考えろ!」と何度も叱咤、罵声が飛びました。 これが想像していた若松監督の姿かと震撼するものの、そこにはどことなくユーモアが漂いエキストラの間からはほがらかな笑いが漏れたりしました。 時には寺島さんもたまりかねて吹き出すことも。 あとでスタッフだった方が話してましたが、今日は楽しかった方、「実録・連合赤軍」の時は15分に一度は怒ってたと。 確かにエキストラの中には赤ん坊を抱えたお母さんも参加し、赤ちゃんは時々、所かまわず泣いたりするのですが、若松監督は一向に意に介さず「泣け泣け、どんどん泣け!」とはやしたて、しまいには赤ちゃんの傍に顔を近づけ「ベロベロ、バァー」とニコニコしながらあやしたりしていました。 「こんなに優しい男はいない」 森達也監督の新著「マジョガリガリ」の若松監督評を後から読んで、ちょっと意味合いが違うかもしれませんが納得していました。 出征兵士を見送るシーンはここで終わり、続いて夜のシーンのために準備なので俳優さん、エキストラは休憩。 ただし大西さんは特殊メイクに入りました。 現場スタッフは松明の準備や旗を立てたり神社の飾り付けに入りましたが、若松監督は現場を離れず若い助監督達のセッティングに目を光らせていました。 制作現場のスタッフは少数精鋭で若い男女が動き回り、 まとめ役のチーフの助監督の元、若者達が助監督、記録係、大道具、装飾、制作、車両と全てできることは兼任しており、若松監督はここでもミスをしたら愛のある叱咤で檄を飛ばしていました。 ホントにいい勉強になると脇で見学して思ってました。 ちなみに辛党の印象が強い若松監督は実は意外にも甘党でもあり、おやつにはアイスクリームが用意されていました。 夜になると松明のかがり火の元で戦地で手柄を立てて帰還した先ほどの大西さんを奉祝するシーン。 手柄とはいえあまりにも大きな代償があったのですが、ここでは村長役の河原さぶさんに向けて若松監督は時に手とり足とりで演技指導。 お昼の時と違いかなり激しく白熱したやりとりが目の前で繰り広げられて皆さん背筋が伸びる思いで参加していました。 ここでは夫を気遣う寺島さんの何気ない表情にちょっとホロリときていました。 おそらく映画ではそんなに大きなシーンではないと思うのですが、寺島さんが魅せる繊細な仕草を同じ空気の中で味わえるのは特権ではないかと。 5月とはいえ夜はまだ肌寒かったですが、若松監督の漲る熱い姿に撃たれていました。 公開は来年の予定だそうですが完成が楽しみです。 撮影を終えて、後片付けも終えて帰路に就く前、地元の方が集会所に近づき「今日何かあったの?」と尋ねにきました。 「映画の撮影で寺島しのぶさんがさっきまでいましたよ」 「柏崎日報で読んだあれ?俺も参加したかったよ」 激しく残念がっていました。ホント、気持ちはわかります。
2009.06.07
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「一段落ついたら次を作りたくなるね」 この一か月で東京、新潟県内縦断、札幌、東京、名古屋と「チョコラ!」とともに駆け巡った小林茂監督が長岡に戻られたのでご自宅にお邪魔しました。 冷やし中華をいただきながら(御馳走さまです)、ふと漏らしたのが冒頭の言葉。 もちろんまだまだ全国でこれから「チョコラ!」は上映され、小林監督は各地へ足を運ぶのですが、東京や新潟での舞台挨拶も終わりご自宅で一息ついたので漏らしたのではないかと思います。 お邪魔したのは今年の映画祭のご協力のお願いが目的、本当にお忙しいスケジュールの中を潜っていただき今年も参加して下さる運びとなりました。 ありがとうございます。 「この前、冗談で話してましたが、マジメにテーマは“婚活”なんてどうでしょう?」 次作はちょっと肩の力を抜くのもいいかと思って話したのですが、どんなテーマであろうと小林監督は全力で挑むだろうと後から思いました。 とはいえすでに次に目を向けてると知り嬉しかったです。
2009.06.06
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今晩のミーティングは次回上映作、映画祭の上映作の選定と確認、ご協力していただく方々との打ち合わせの報告や今後の段取りなど。 長岡インディーズムービーコンペティションの審査日などとかなり込み入ったことを話してました。 あと次号の“すくらんぶる“の企画も編集長から提案がありました。 個人的に映画祭上映候補作の中の1本がまるで大林宣彦監督への素晴らしいオマージュに満ちた作品だったことをちょっと興奮して話していました。 難問や課題が山積みですがぜひスクリーンで上映できたらと。 お手伝いいただける方、随時募集しています。 ご希望の方はご連絡ください。
2009.06.05
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一喜一憂憂憂、繰り返す毎日ですか、そんな中、嬉しかったことを書けばウィルながおかの会議に出席したところ、中越大震災から早5年、『新潟県中越大震災「女たちの震災復興」を推進する会』があの震災を記録する記念誌を発行します。 記念誌は「忘れない。」というタイトルに決まったそうですが、資料として提供した当会関係者の地震の証言を集めた“すくらんぶる46号”が思いの外、編集スタッフの方々から褒めていただきました。 もう発行して4年なのですが、まさか発行当時予想もしてなかった方々から注目して下さるとは。 「20代の女のコの証言もあるでしょ、そういうの貴重なのよ」と。 抜粋してまた再提出することになりましたが、どんな形で仕上がるのか楽しみです。
2009.06.04
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“この村の人達は命のリレーがちゃんとされている。 作法・文化が次の世代にリレーされている。 自分はどこから来てどこへ行くのか、 山古志の1000年間のリレーをしてきた、 山古志の人達の生きている根っこを描きたかった。 悠久の人の流れ、重みに自分達の想いをつけた” 橋本信一監督の「掘るまいか」に続く山古志を舞台にした記録映画、 「1000年の山古志」の完成試写会に参加してきました。 上映前に橋本監督は完成のお礼を述べた後に、 タイトルの由来について冒頭のことを話していました。 「掘るまいか」に続いて山古志を舞台にした映画をと考えていた所に、 発生したあの中越大震災。 映画は地震発生後、家、田畑、闘牛、乳牛、鯉、、、 何もかも失い呆然と立ちすくむ人たちをとらえてから、 人々が互いに励まし再起、復興していく姿を丹念に追っています。 完成まで5年かかっただけに力作、そして傑作でした。 中でも破壊された棚田がようやく形を整え、 ここに水を引くために水源まで道なき道、崖の雑木林を カマやナタを手に突き進む老女の姿は この地、山古志への愛着だけでは計り知れないこの老女の思いを 映しだして凄味を覚えました。 松根広隆カメラマンの粘り強い撮影も特筆です。 映画は時々、対象者の言葉に頷く橋本監督の声が聞こえます。 山古志の人達の喜びと悲しみを多く目にしただけに、 村人たちが多大な信頼を寄せて監督に自身の胸の内を語っていることがよくわかります。 橋本監督の姿は映りませんが、村人の言葉に親身になって話を聞く姿が思い浮かぶようでした。 完成おめでとうございます。http://1000yamakoshi.main.jp/
2009.06.01
| Trackback(0) | ごあいさつ
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