三沢光晴やマイケル・ジャクソン、それに忌野清志郎にジョン・ヒューズが亡くなった年として記憶されるかもしれない2009年。 今年の当会の主な活動を振り返ると、 3月15日 「その日のまえに」上映会 5月17日 松下照美「講演」+映画「チョコラ!」上映会 5月24日 「ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト」上映会 9月15日~9月21日 「第14回長岡アジア映画祭」「復興映画祭×長岡アジア映画祭」 11月29日 「花の生涯 梅蘭芳」上映会 フリーペーパー“すくらんぶる”の発行 以上になります。 ご協力、ご支援をいただきました方々、誠にありがとうございました。 今年は良き出会い、良き再会があった年だと思っています。 去年の今頃はお会いした、とても魅力的な方々と出会いや再会があることは想像も出来ませんでした。 新年も良き出会いがあることを期待したいです。 そしてぜひ当会の活動に多くの方々がご参加していただくことを願います。 新年は1月4日夜、事務所の上映企画室でスタートします。 扉が開いてましたらぜひいらしてください。 良いお年を。
スポンサーサイト
2009.12.31
| Trackback(0) | 当会の活動報告
このブログを始めてから最もタイトルを書いた映画は数えていませんがダントツで「モノクロームの少女」になる筈です。 以前にも書きましたが映画化が決まる以前の段階、企画前の段階から五藤利弘監督は当会事務所に顔を出して故郷への想いを映画に形にしたいと語っていました。 当会としてもそんな形で東京からやってくる人は初めてでしたので、最初はどういう応対、協力をすればいいのかまるでわかりませんでしたが、それでもお力添えしていただけそうな方を紹介していくのが出来ることではと次第にわかってきました。 まがりなりにも当会はもう来年20周年になるので、これまで当会を応援して下さる方々をご紹介すればいいのだと。 もちろん五藤監督の努力と人望があって様々な人達を巻き込んで映画製作に着手。 当会も撮影を見学したり、先行上映会に参加させていただいたりと、準備から撮影見学、完成までを一通り五藤監督のお話しを交えて見つめ、さらに映画祭で豪華ゲストをお招きしての上映と「モノクロームの少女」は当会にとっても記念すべき映画でした。 最も綺麗ごとばかりでなく、と言ってはヘンですが五藤監督とは葛藤や摩擦もあったりしながらも、それらを超えて今年もわざわざ東京から、しかも映画役者とともに望年会に参加して下さるのはとても嬉しく思った次第です。 とはいえ「モノクロームの少女」は知っている限りで新潟県内のほかは今のところ東京や横浜以外ではまだ公開されておらず、DVD化はまだ未定だそうなのでぜひとも来年はもっと沢山の地域での公開を切に望んでいます。 そんな中、先日、映画「ひめゆり」の柴田昌平監督が自身の事務所にて「モノクロームの少女」試写会を開いて下さったそうです。 事務所の壁にスクリーンを設置し柴田監督が懇意にしている劇場関係者や映画祭関係者をお招きして映画を観賞。 これを機に少しでも映画が拡がっていくことを柴田監督は期待しての試写会のようでした。 五藤監督も柴田監督のお心遣いに大変感謝したそうです。 柴田監督は今年2月に川崎市アートセンターで開かれた「ひめゆり」新年会で五藤監督と出会い意気投合。 「モノクロームの少女」を先行上映会で観て感激をしパンフレットに推薦文を寄稿したりしました。 日本のドキュメンタリー映画史に残る「ひめゆり」の監督からお墨付きをいただいたことも「モノクロームの少女」への大きな価値があるといえると思います。 先の当会望年会で五藤監督は次回作もまた栃尾、そして長岡でも撮影したい旨を話して下さいました。 来年はその準備を進めるとともに「モノクロームの少女」を全国で上映し、多くの地域で観てもらうことも並行して活動するそうです。 *プロダクション・エイシアの関係者試写会の模様。 柴田監督、大兼久プロデューサー、関係者の方々に囲まれる五藤監督。 柴田監督の「ひめゆり」に続く新作は「森聞き」、来秋公開予定だそうでこちらも楽しみです。
2009.12.30
| Trackback(0) | ごあいさつ
Dくんが当会に参加したのは昨年カーラさんが制作中の映画祭ポスターを目にして。 そしてカーラさんの紹介で事務所にやってきました。 大学で仲間と自主映画制作に励んでいること、卒業したら映画の現場に入りたいこと。 スレてしまったこちらの目にはとても眩しく映画への想いを語っていました。 当会に参加後は第10回長岡インディーズムービーコンペティションの審査会を見学。 予選をくぐり抜けた作品を審査員達が喧々囂々と白熱した審査を目にしてとても刺激を受けたようでした。 またそこで出会った杉田愉監督のキャラクターにとても関心を抱いたようで、 杉田監督も映画への志を話すDくんと話し「昔の僕を見ているよう」と呟いていました。 審査後の懇親会では東條政利監督から直々に現場の様子やアドバイスを受けていました。 そして栃尾での「モノクロームの少女」の撮影現場を五藤利弘監督の計らいで見学。 目の前で“現場者”あの大杉漣さんが熱演を繰り返す姿を目にしてはもう引き返すことは出来なくなった筈です。 今年の映画祭では映写技師の卵として丸ごと35mmの映写機と格闘していました。 映画への道を歩むとしたら映写機の息遣いを直接感じ、これはとても大きな体験だったと思います。 そして最後の日は見学に来た大桃美代子さんの前でフィルムチェンジを立派にこなしていました。 その映画祭の休憩時間中にはノートパソコンを持ち込みせっせとシナリオ制作に励んでいました。 それは今回、長岡造形大学の卒業制作品として自ら監督することで実を結ぶことになりました。 先の当会事務所の撮影に続き、某日雪と雨が混じる某公共施設での撮影の見学をしてきましたが、 監督、脚本、制作を兼ねさらに少ない時間や悪天候などでDくんは時折テンぱったりするのですがすかさず仲間たちはフォローし助け支え合う姿はとても美しかったです。 またヒロインは寒空の下、雪上に倒れながら演技をしたりと薄着で過酷な撮影を頑張ったりしてましたが、D君はもちろん撮影隊がヒロインを決して下に置かない気配りも感動モノでありました。 D君、ホントにいい仲間に恵まれたなぁと。素晴らしいチームワークでした。 帰りの車中で指導する先生にDくんと助け合う仲間たちがとても良かったと伝えたところ、先生はまず映画制作は協調していくことを教えるそうです。 当たり前かもしれませんが映画制作は教育実習の場としてもとても有意義なことを実感したりしました。 今回の映画は少し大袈裟ですが長岡の映画史に刻まれることがあります。 それはフィルムコミッションである長岡ロケなびがおそらく初めて協力した学生映画になったこと。 Dくんはロケ地の紹介をロケなびに相談したところ、市の職員さんがロケハンに同行しこの日の撮影地となった公共施設の撮影許可を取っていただいたそうです。 これをきっかけに今後、造形大の学生映画がフィルムコミッションに協力を仰ぐことになっていくようです。 映画が完成したら全国の自主映画祭にDくんは応募を考えているので、こんな形でも長岡が発信出来るのは意義があると思いました。 映画は来春の長岡造形大の卒業展で上映の予定。 当会に参加したことはたぶんプラスになった筈なので卒業後の活躍を期待します。
2009.12.29
| Trackback(0) | 当会の活動報告
本日の今年最後の上映企画室は一昨日の「SR サイタマノラッパー」舞台挨拶と懇親会の報告と感想。 事務局長も行ったので入江監督やラッパーの皆さんとどんな話をしたか感想を伝えながらいまだ終わらない年賀状の宛名書きをしていました。 そして時間となり「よいお年を」とかけあいお開きとなりました。 しかしまだ宛名書きは終わらないのですが、、、
2009.12.28
| Trackback(0) | 当会の活動報告
再会した焼き肉屋のシーン。 おそらく伝説となって語り継がれると思う名ラストシーン。 客席は最初ギャグかと思いクスクスと笑い声が漏れていましたが、 次第に夢を追うことはたくさんの犠牲とともにあることを残酷に浮き彫りにする二人のリリックに、客席は真摯にスクリーンに引き込まれていくのがよく感じられました。 昨晩のシネ・ウインドの「SR サイタマノラッパー」の初日。 上映後には相変わらず気さくながらもまた一段と大きくなっていた入江悠監督。 映画以上に腰が低い主役のニートラッパー役の駒木根隆介さん。 サングラスを外した瞳が驚くほど綺麗なブロッコリーラッパーの奥野瑛太さん。 新潟へは魚野川や三面川によく出没するという本当に釣りキチの釣りラッパーTECさんが登場し大いに盛り上がりました。 入江監督と観客との質疑応答の中であのラストシーンについて、よくあるステージで演奏してお客さんの喝采を浴びるというクライマックスは現実味がないと疑問を語り、はっきりとした結末を避けてこれからを感じさせることにしたかったこと。 また自身の出身が舞台となった深谷であり、本当に嫌で堪らなかった故郷がなぜ嫌なのか問い詰めて映画が生まれたという旨は強く印象に残りました。 新潟にはスキーなどでよく遊びに来ていたそうですが、映画に登場するのは東京と新潟を結ぶ関越高速自動車道。 その行き来から深谷が外れていることを表したくて映画に登場させたようです。 新潟と言えばヒロインに柏崎出身のみひろ様を起用した理由もお話し下さいました。 拍手とともに「MC Tecのお魚ラップ 新潟編」を交え、 お越しいただいたお客さんに丁寧なお礼を述べてトークは好評のうちに終了。 その後はそのまま劇場内で懇親会兼忘年会に雪崩れ込みました。 用意された新潟の銘酒に監督とラッパーは酩酊しておりました。 この日は皆さん東京から車でやってきて本番前にラジオ出演しPR、県庁の展望台へと見学。 へぎそばと海鮮丼という新潟の味を満喫したそうですが、 その話を聞いて駒木根さんにシネ・ウインド支配人達とともに新潟のB級グルメ情報を。 新潟県四大ラーメン、勢力を増す三条のカレーラーメンにウインド近くの立ち食いそば屋さんのカレーライス、新潟のタレカツ丼に長岡の洋風カツ丼等を話しました。 駒木根さんは涎を垂らしそうな感じで聞き入っていましたが、ぜひまた新潟に来た時はもっと新潟の味を満喫してほしいなと。 そして入江監督。 映画は1シーン、1カットの長廻しにこだわっていましたが、お堅い市役所でラップを披露した後に世間のまっとうな常識に打ちのめされる長廻しのシーンは20回もリハーサルを重ねたそうです。 それも出演者はラッパー以外は素人の皆さんでクリスマスイヴに撮影。 イヴだから早く帰りたいと現場はピリピリしていたそうですが、そのピリピリ感が却ってあのシーンでは良かったと笑いながら話していました。 話を聞き低予算とはいえ決して妥協はせずに、粘り強く演出に打ち込む力が入江監督の大きな強みではないかと。 新作は続編でもあるようで来年のゆうばり国際ファンタスティック映画祭でまずお披露目されるそうです。 成功を祈念し、また長岡にお越しいただけないかと願います。 この夜に監督とラッパーの皆さんからサインを書いていただいたポスターは当会事務所の1階入り口に現在貼っています。 シネ・ウインドは今月30日まで公開しています。 映画賞やベストテンの季節ですが「SR サイタマノラッパー」を観ないで選定してほしくはないなとも思ったりします。
2009.12.27
| Trackback(0) | ごあいさつ
望年会恒例の参加者の自己紹介兼今年のベストワン映画は名前が挙がった作品を羅列していきますと「ヴィヨンの妻」「チェンジリング」「チョコラ!」「レスラー」「スタートレック」「空気人形」「大丈夫であるように」「1000年の山古志」「その日のまえに」「レクイエム・フォー・ドリーム」「嫌われ松子の一生」「台湾人生」「水になった村」「セントアンナの奇跡」「SRサイタマノラッパー」「少年メリケンサック」「kamos」等々、そして最多得票数を獲得した作品は「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」と並んで「モノクロームの少女」でした。 もちろん五藤利弘監督がこの場にいたから、というよりもやはり当会メンバーにとってはずっと完成までの歩み道中、応援をしていただだけに深い思い入れを感じた作品だったのではないかと。 そして予想以上に素晴らしい作品だったこと、参加者で最も劇場に足を運んだ辛口な副会長が躊躇なく推して感想を述べていたことも印象に残りました。 あと「大丈夫であるように」を推した方は「Coccoという歌手は全く知らなかったけど、映画を観てその生き様に驚き圧倒されたこと、見終えてすぐにCDを買って車の中でよく聴いている」と話していました。 確かにCoccoとはこれまで縁のなさそうな方が、予備知識も何もなくまっさらな状態で観ただけに余計衝撃的だったと想像しました。 同じく音楽ドキュメンタリーの「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」を強く推した方も「マイケルなんて全然興味もなく、観る気がなかったけどつきあいで観に行ったら本当に良かった。特に高い声の歌声は本当に美しく素晴らしかった」とやはり熱く語りこちらもすぐにCDを買ってよく聴いてると話しておりました。
2009.12.26
| Trackback(0) | 当会の活動報告
望年会には長岡屈指のコレクター長谷川さんも駆けつけてくださいました。 この日は忘年会のハシゴだったそうです。 そして新潟県立歴史博物館で開催される「第6回マイ・コレクションワールド」の紹介をしました。 「第6回マイ・コレクションワールド」 平成21年12月19日(土)~平成22年1月17日(日) 会場 新潟県立歴史博物館企画展示室 問 TEL0258-47-6135 FAX0258-47-6136 HP http://www.nbz.or.jp/jp/ 長谷川さんは今回“長岡思い出の二つの会館”と題して長岡観光会館と長岡厚生会館に関するコレクションを展示するようです。 ちなみに“宮内のディズニーランド”と呼びたい長谷川さん宅の豪勢なイルミネーションは25日今晩まで。 とはいえおそらく長谷川さんはすでにもう来年のイルミネーションを構想していることと思います。
2009.12.25
| Trackback(0) | お知らせ
今回の望年会にも五藤利弘監督は東京から駆けつけて下さいました。 そして五藤監督が誘って同行してきたのが映画役者の三浦景虎さん。 「モノクロームの少女」の東京での先行上映会で知り合い意気投合したようです。 誰もが芸名だと思っていたら本名だそうで皆さん驚いていました。 “景虎”といえば上杉謙信の幼名なので新潟県でこの名はインパクトがあります。 ちなみに出身は大分だそうです。 これまでに新藤兼人、瀬々敬久、西川美和といった第一線の監督とお仕事をされていますが、特に最近は大林宣彦監督の作品に連続出演しています。 そこで大林監督作に出演したきっかけを尋ねたところ、傑作「ふたり」を観て感激し大林監督に感想をとともに出演を希望するお手紙を送ったそうです。 それからしばらくして大林監督が新作「理由」に取り掛かる時にお声がかかり、 観た方はご存知のように「理由」は大変な数のキャストが必要な作品、 そこで小さな役とはいえ警官役を景虎さんは演じたそうですが、おそらく大林監督の脳裏に刻まれたのでしょう、以後「22歳の別れ」「その日のまえに」と出演を果たしています。 ただし「理由」の現場では大林監督の奥さまである恭子プロデューサーより「ふたり」を観て感激したという景虎さんのお手紙はずっと保管していたと聞かされたそうです。 景虎さんは謙遜していましたが、おそらく大林夫妻はお手紙が強く印象に残り、機が熟すのを待って声をかけたのではないでょうか。 まだ駆け出しの俳優から届いたお手紙をずっと保管していたという恭子プロデューサーの心遣いにもちょっと感激したエピソードでした。 望年会の翌日は五藤監督のご案内で景虎さんは「モノクロームの少女」のロケ地、栃尾を巡ったそうです。 栃尾といえば上杉謙信が長尾景虎時代の幼少時、過ごした場所。 自身の名と縁のある地に足を運び大変喜んだと思います、そしていつかこの地で五藤利弘監督作に役者として登場してほしいと思いました。 景虎さんは当会事務所に到着した際の第一声は貼ってある「亀も空を飛ぶ」のポスターを目にして「この映画、凄い映画でしたよね!」 ただしこちらはちょっと込み入ってた時なのでうまくお返事ができなかったことが悔やんでいます。 今度の機会はぜひ「亀も空を飛ぶ」のお話でもと、お仕事だから当たり前なのかもしれませんが望年会のなかでも映画について熱く語っていたのも強く印象に残りました。http://tigertora.exblog.jp/10559558/ ↑景虎さんのブログに当会望年会の感想が書かれています。ありがとうございます! 五藤利弘監督と三浦景虎さん
2009.12.24
| Trackback(0) | 当会の活動報告
当会望年会の名物の極みといえば調理師N君が腕を奮う“ほかほか鍋”です。 N君は望年会1カ月前から構想を重ねて、自宅で奥さんと共に試食を積んで当日はいらした皆さんのために尽力します。 今年のメニューはお肉とお魚の味が染みた“ちゃんこ鍋”、意外な方向から攻めてきたピり辛“麻婆鍋”、最後の締めは“中華風うどん”と三段階に渡り今年も大好評でした。 これにバーデンバーデンのオードブルと缶ビール、持ち寄った新潟の銘酒やワインに差し入れのデザートが卓上を支配するので当然のように話が弾みます。 ちなみに愛知県からこの日のためにやってきたN特派員は来る途中に善光寺に参拝し、名産の七味唐辛子セットをお土産に持参しました。 その中の究極の辛さ『BIRD EYE』を豪快に振りかけ「麻婆鍋」を食べてたツワモノがいて、その姿を見た人達驚いておりました。 調理師N君は帰り際の挨拶で「今日の鍋はいかがでしたか?」と皆さんに問いかけてましたが、当然参加者一同大きな拍手を贈って“ほかほか鍋”を称賛していました。
2009.12.24
| Trackback(0) | 当会の活動報告
先日、当会事務所の台所で映画の撮影がありました。 長岡造形大学生の卒業制作作品です。 実は監督は当会メンバーで事務所を出入りしているうちに、 台所の雑然とした雰囲気が作品のイメージに合う、 ということで仲間の出演者と撮影隊を引き連れてやってきました。 事前に長岡駅周辺でロケを敢行した撮影隊は 寒くて狭い台所にカメラ、マイク、照明をひしめきさせ、 監督は皆さんと意見交換をしながら、 リハーサルを重ねてそのシーンを形にしていきました。 ドカドカと床を鳴らしたアクションシーンもあり、 リハーサルに時間をかけた分、 本番はスムーズに行き、最後は血糊が床にこびりついたりしてましたが、 きちんと監督自ら拭き掃除をしていました。 ちなみに血糊はネットで調べて調合したそうです。 長岡造形大学の卒業展に毎回映像作品が出品されて、 よく足を運んでいましたが、 今回の作品はそれまでの造形大の映像作品と毛色が違うようで楽しみに思います。 この監督についてはいづれまた、、、 あとキャスト、スタッフの皆さん。 時間がなくてあんまりお構いできませんでしたが、 今度でも監督と事務所に遊びにいらしてください。 遅くまでお疲れさまでした。
2009.12.23
| Trackback(0) | 当会の活動報告
*S東京特派員の映画祭巡礼記。 今年最後は『中国インディペンデント映画祭2009 』。レポートを読むと現代の中国の姿を様々な断層から切り取る刺激的な映画祭のようです。 2009年もあとわずかになってきましたが、年末のお正月映画で出揃う中、東京では映画祭もまだまだ開催されています。 今回はポレポレ東中野で上映されている中国インディペンデント映画祭に行ってきました。 東京フィルメックスでイラン人のアミール・ナデリ監督が検閲もいいものだ、映画人はそれと戦うことで鍛えられる、というようなことを言っていましたが、中国の映画が今次々と注目に値する作品を送り出しているのも同じような状況だからでしょうか。 第2回のこの映画祭、前回にもまして面白かったです。 「グッド・キャット」イン・リャン監督作品。イン・リャン監督の3作目。 今までの作品「あひるを背負った少年」「アザーハーフ」は東京フィルメックスでも上映されました。 今回も四川省を舞台に、不動産会社に勤める主人公を狂言回しに、異様なスピードで発展する社会に翻弄される人間たちを描いた作品。 監督は流れに逆らって正義を貫くようなことが出来ないふつうの人々を同情をこめて描いています。 地上げ業者がさらに強欲で暴力的な住民に手を焼いたりして従来のステロタイプを覆す描写の数々がいいですし、今までにないユーモアもあり監督の新境地が感じられる作品でした。 深刻な場面でとつぜん歌が始まったりしてとぼけた味わいがかなり笑えます。 「小蛾(シャオオー)の行方」ポン・タオ監督作品。 この映画はフィクションですが、中国では障害を持つこどもを路上で乞食をさせるという裏稼業があるらしいです。 この映画の主人公の少女は足が不自由。父親は千元である夫婦に少女を売ります。少女は小蛾と名づけられます。 夫婦の夫は叔父がこのような裏稼業の親方で、初めてこの商売をはじめたのですが、小蛾を商売道具として扱う夫に対して妻はどうしてもそういう風には扱えません。 かぜをひいた小蛾を医者に見せたところ、今から治療すれば足が治ると言われて、妻はなんとか助けようとしますが… あまりにも過酷な少女の運命ですが、それをとりまく大人の登場人物も含めて描写に甘さはありませんが、残酷なだけではない温かさを感じました。 小蛾を演じた少女は監督が発見したそうですが実際に捨てられて今は養父母に育てられているということを後で知ったそうです。たしかになにもかもあきらめたような少女の目がすごく印象的でした。 またゲリラ的に撮影されたであろう街中での撮影が素晴らしいです。 「牛乳先生」ヤン・ジン監督作品。ある村で小学校の教師がいなくなり、村長は役所に新しい教師を頼むが金はない、村でなんとかしろといわれるだけ。 困った村長は村で唯一の高校生チンチョンに小学校の教師になってくれと頼む。 無給ながら熱心にこどもたちを教えるチンチョンをなんとかしたくて村長はまた役所に頼みにいくが金の代わりに乳牛を一頭渡される。牛から取れる牛乳を売って金にしろというのだ。 背景に地方の財政難、農村の貧しさ、小学校すら満足に行けないこどもなどの中国の抱える諸問題を込めながら映画はのんびりとユーモラスに進みます。 インディペンデント映画ながらそのオーソドックスな作りはまったくメジャー作品と同等ですごいと思いました。 ラストの主人公とおばあちゃんの会話もなんともいえない余韻を残します。 「俺たち中国人」シェン・シャオミン監督作品。 ロシアとの国境ちかくのある村。ここはロシア人の末裔が住んでいる村で、中国語を話すれっきとした中国人ながらも外見はロシア人にしか見えない。 中国人からずっと差別されていたので同族間でしか結婚できなかったためロシア人の特質が色濃く残っている。 またその弊害もあるようだ。そんな村の一冬の生活を追った映画。 シェン・シャオミン監督は元々現代アートの分野では有名なひとらしく、この映画もドキュメンタリーなんだけどそれより現実を素材にした「アート」っていう感じです。 実際の人物をオブジェのように配置したり、それぞれまったく関連がないようなカットを積み重ねていくようすはまるで写真集のようにも感じました。 撮影対象の選択にも監督の美的センスをびしばしと感じて刺激的な作品でした。 画面の美しさはちょっとずば抜けていました。 「オルグヤ、オルグヤ…」グー・タオ監督作品。 ドキュメンタリー作品。内モンゴル北部のエヴェンキ族は狩猟民族だが政府から狩猟を禁止され新しい居住区に移住させられた。 しかしなかには元のすみかのオルグヤの森に戻りそこで生活する者もいる。そんな人々を撮った作品。 彼らはトナカイを放牧している。トナカイの角が収入源。 トナカイはほったらかしでも大丈夫なので手間がかからない。 角を切るときは忙しいがあとの大半の時間は暇。 ひまなせいか出てくるひとはほとんど酒びたりで、映画はほとんど酒がもたらすトラブルで占められている。 今までの伝統を奪われた少数民族の問題を描くのが目的なんだろうけど、画面を見た印象としてはアルコール依存症の恐ろしさを描いた映画のようでもある。 それほど飲酒問題はひどい。映画の中心人物のふたりの中年姉弟の、とくに姉のほう。いきなり暴れだすリアル姉弟喧嘩はびっくりした。 ほかでもいやもう殴る、蹴るのすさまじさ(カメラが回っているのに…)。 中国のドキュメンタリーのすごさにはたびたび驚かされてきましたが、この映画の迫力にも参りました。 ほかにもあらすじを見ただけでもなかなか個性的な作品ぞろいで期待させる新鋭監督短編集や、中国では非合法の性産業に従事する女性を描いたドキュメンタリー「収穫」、内モンゴルの機関車の運転手が主人公で鉄っちゃんたちが詰め掛けたという「ジャライノール」など見逃したくない作品ばかりの中国インディペンデント映画祭でした。 東京では29日まで。その後大阪でも開催されるようです。 しかしそれだけで終わるのは実にもったいない。もっといろんな地方でも上映されてもらいたいものです。
2009.12.22
| Trackback(0) | ごあいさつ
現在、12月12日14時。 食材の買い出しを終えて台所で当会のN料理人が望年会恒例の“ほかほか鍋”作りに挑んでます。 これから会場の当会事務所の掃除にかかり、お客様をお迎えし19時から当会年末恒例の怒涛の望年会に入ります!
2009.12.12
| Trackback(0) | 当会の活動報告
先週、当会に映画人からとても丁寧なお礼状が届きました。 この1年の東奔西走した活動とこれからの抱負を綴っています。 まさに結びの言葉として書かれた “映画一筋、幸福人生!、、、”がとても伝わるお手紙でした。 読み終えた事務局長がこれは当会の家宝だと述べた後、 「作品を上映するので東京まで 長岡にお越しいただけないか、 お願いに行ってお会いした時、 君たちは映画の仲間だと言ってくれたんだよ、 大林宣彦監督は」 心に残る思い出を話してました。
2009.12.11
| Trackback(0) | ごあいさつ
先の「映画が街にやってきた」を読むと制作資金に行き詰った「白痴」の映画化に手を差しのべたのが手塚プロダクションでした。 編集者から手塚治虫先生のマネージャーを経て手塚プロの代表取締役となった松谷孝征氏は「白痴」を観て「手塚治虫の作品を感じさせる」という旨を述べていました。 その松谷氏がシネ・ウインドでの「白痴」10周年記念公開から約1週間後、「白痴」が撮影された長岡造形大学で開かれたシンポジウム“マンガ・アニメーションの威力・底力”のパネリストの一人として参加しました。 現在はマンガ・アニメーションの過度期と位置付けて長岡では地場産業としてのマンガ雑誌の創刊やコンテストの発案を述べていました。 そしてモバイルで読めるマンガなど次代の行く末、マンガがどのように発展していくのか凝視しているようでした。 しかしこのシンポジウムの主役は藤子不二雄Ⓐ先生。 片山雅博先生のリスペクト溢れる司会進行のもと、松谷氏、「笑うせえるすまん」のアニメーション監督、クニ・トシロウ先生という仲間とともに。 客席に向かって「みなさん、本物ですよ!」と片山先生の掛け声で登場した黒づくめの藤子不二雄Ⓐ先生。 「忍者ハットリくん」「怪物くん」「まんが道」「プロゴルファー猿」「魔太郎がくる!!」そして「笑うせえるすまん」等々マンガの最前線を切り開いた“リビング・レジェンド”は「人見知りをするんです」と言いながら饒舌にこれまでの「まんが道」を話して下さいました。 「笑うせえるすまん」「プロゴルファー猿」の誕生秘話とともに発想の転換とキャラクターがマンガにとって大事と語るのはおそらく聴講してる造形大のマンガ家の卵たちにとってナマで聴くのは得難いものがあったはず。 そして手塚治虫先生及び藤子・F・不二雄先生への思い出話はこの二人の巨匠の作品に慣れ親しんだ者にとってはとても貴重な逸話。 特にF先生との出会いからつきせぬ友情と深い絆、言葉の端はしから敬意が感じられるⒶ先生の姿を目にし、小学生の時「コロコロコミック」で藤子プロのスタジオの中、お二人が机を並べてせっせとマンガを描いてる写真を目にしてたこちらは感涙モノでした。 Ⓐ先生が語るF先生のエピソード、学校を卒業して新聞社に勤め愛する女性もでき安定した道を歩み始めたⒶ先生を共に上京しようと誘い口説き落としたF先生。 その頃のF先生は会社に入社しても誰とも話すことが出来ず、30分で退社をし家でマンガばかり描いてたという社会不適応ぶりに激しく凄味を覚えてました。 Ⓐ先生は「映画が好きで映画監督になりたかった」と語り、自身がプロデュースした「少年時代」のお話の中で 「映画は莫大な資金がかかるので、藤本君に迷惑をかけたくなかった」とコンビを解消した動機の一つが映画への夢だったことは初めて知りました。 しかしかつてのトキワ荘のマンガ仲間たちが次々と亡くなっていく中、75歳のⒶ先生の健在ぶりは本当に頼もしく映っていました。 新作の構想もおおいに語っていましたが、何しろこの日の二日前に酔っぱらって転倒して左指を骨折してしまったという75歳らしからぬ豪快なエピソードにカッコ良さを強く感じたりしました。 ちなみに造形大近くの近代美術館にはアーカイブ映像があり、誰でも視聴できるのですが、その中に81年のNHK特集『わが青春のトキワ荘~現代マンガ家立志伝~』が収めれてます。 見ると取り壊しの決まったトキワ荘で同窓会が開かれ手塚先生、藤子先生はじめトキワ荘出身のキラ星のマンガ家が次々と登場するなど大変貴重な映像の中、不遇で売れないまま転職で食いつないでマンガを描く森安なおや先生に焦点があてられており、熾烈なマンガ業界を残酷なまでに浮き彫りしてなかなか辛いものがありました。 私事ですがインド旅行をした友人がホテルでテレビをつけたら「忍者ハットリくん」のアニメが放映されてて驚いたそうです。 旅行中、日本の情報など見たことなどない中でヒンディー語を話すハットリくんはインドの人々が日本の文化に触れる数少ない機会なんだと、そんな面から世界に日本のマンガ文化を発信していた源の一人と言えるⒶ先生、これからもお元気でご活躍ください。 最後にⒶ先生が「僕は今年死んじゃいますから」と話すと、 「あなた、20年前からそんなこと言ってたじゃないですか」、すかさず片山先生がつっこんで笑わせてました。
2009.12.10
| Trackback(0) | ごあいさつ
「松竹映画で“白痴”というタイトルの映画は黒澤明監督作に続いて二度目。 本当は黒澤作品と同じ長さの166分にしたかったのですが、長いので20分切りました」 先月、手塚眞監督作「白痴」の公開から10周年を記念してのリバイバルが、「白痴」制作の砦の地、シネ・ウインドで公開されました。 それを記念しての上映として手塚眞監督、古澤敏文プロデューサー、本作で女優デビューを飾ったあんじさんのトークの後に、もしかしたら日本初、ひょっとしたら世界初かもしれないコメンタリー上映が開かれました。 よくDVDの特典にある関係者が映画に併せて解説をするコメンタリーを劇場でライブでやろうという試み。 館内は照明を少し落とし、映画のボリュームを半減して手塚監督、古澤プロデューサー、新潟の窓口として制作に奮闘した矢部孝男氏の三名がマイクを手にスクリーンを目にして上映に併せてナマでざっくばらんに解説というか裏話を話していました。 あんじさんはというと客席で当時を思い出し歓声を挙げてるなどかなり贅沢な上映会。 オープニング、おなじみの松竹の富士山のマークが出てから手塚監督が饒舌に語り、要所要所で古澤氏がプロデューサー的視点から舞台裏を、矢部氏が新潟側のエピソードをフォローというような形で進行。 主役の浅野忠信さんと「おはよう」という台詞ひとつを巡って1時間も議論したこと、 当時、浅野さんの付き人として今をときめく加瀬亮さんが新潟ロケにもずっと滞在していたこと、さらにリハーサルでは浅野さんのスタンドインもしていたシーンがあること、 まだ新人の大森南朋さんも小さな役で出演していることなど、あまり話すことのないエピソードを手塚監督がしゃべりっぱなしで終始していましたが、大変貴重な機会でした。 特にファーストシーンの浅野さんの部屋の場面は撮影監督の意向で暗く映っており、それは手塚監督の意図よりも暗かったのでどうかと思っていたが、次第にこれでいこうという気になったことなど現場で創造をしていく様子。 また今ならCGを使うところをミニチュアを使って合成してること、ただCGが使われ始めたころなのでCG,ミニチュア、実写をうまく合成していること、それらをシーン毎に客席に向けて丁寧に解説をしていただきました。 また古澤プロデューサーはクライマックスのセットが空爆で炎上するシーン、本当に家屋のセットに火をつけて炎上させ、消防車を待機するほど大掛かりな炎上シーンでふと炎上中の家屋の脇を見たらそばになぜかプロパンガスが置記忘れてあり、大慌てで抱えて持ち運んだこと、抱えたプロパンガスは熱で熱くなっており、あの時は本当に爆発を覚悟したことなど今から話せる壮絶な舞台裏を披露。 そしてロケハンで遭遇した背筋が凍る怪談話も。 矢部氏は映画のオリジナルの舞台である“メディアステーション”の内部のセットかと思う近未来的な内装が実は長岡造形大学で撮影されたと話すと客席から歓声がおこりました。 他にも矢部氏が指摘をし意外と多く造形大学で撮影されたことを今回知りました。 「本当は映画館では話し声などしてほしくなく、映画を集中してみていただきたいのですが、新潟は特別なので今回、こんな形で上映しました」 次回作の計画も話して手塚監督は締めましたが、こういった試みはとても刺激的な映画体験として楽しめました。 客席は「白痴」から10年後の同窓会のごとく、当時ボランティアで撮影を手伝った方、エキストラで参加した方なども駆けつけました。 劇中にはこの10年の間で惜しくも亡くなった出演者の岡田真澄さん、川村カオリさんの元気な姿も登場する中、同窓生達が息を呑んだのが数年前に亡くなったEさんが一瞬エキストラながらもアップで登場すること。 シネ・ウインドではありませんが他館の映写技師として映画人生を送り、ウインドを出入りする人達の間でとても愛され、また当会が立ち上がった頃に講師としてお話し下さったEさんが不意打ちのごとく登場したのはとても感慨深いものがこみあげたりしました。 *映画が街にやってきた―「白痴」制作・新潟の2000日物語 「白痴」のメイキング本でなく「白痴」と関った新潟側の人々の魂のドキュメント本。 実は矢部氏の奮闘記の側面もあり大変読みごたえがある好著。 「白痴」公式HPhttp://www.neontetra.co.jp/hakuchi/
2009.12.09
| Trackback(0) | ごあいさつ
昨日の上映企画室は例によって年賀状の宛名書き、そして今回はついに印刷に入りました。 その合間の雑談ではジョン・レノン、ブリジット・リン、アピチャッポン・ウィーラセタクン、マーティン・スコセッシ、最近起きた長岡の大事件など多岐に渡りました。 また最近届いたある映画人からのお手紙を読んで感激をしておりました。 そして今週土曜日の望年会に各自、思いを馳せていました。 ホントに西から東から様々な方が来て下さります。 特に今年新しく当会に参加した人達には多様な皆さんをご紹介したいと思ってます。 楽しい会にしていきたいと。
2009.12.08
| Trackback(0) | 当会の活動報告
小林茂監督作「わたしの季節」の舞台となったびわこ学園の粘土作品展に併せてのシンポジウムに昨日足を運びました。http://tsukurukai.blog103.fc2.com/blog-entry-639.html 会場は新潟市総合福祉会館。 1階ロビーには粘土作品展が開かれており、小林監督が寄せた文章には“重障施設がない当時は新潟県のこどもたちがたくさんびわこ学園にいたことも知ってほしいと思います”と書かれていました。 シンポでは小林監督の機智に富んだ進行のもと4名のパネリストがそれぞれ作品に触れて、それまでの価値観が否定されたこと、我々よりも解放されて楽しそうだとの発言をし既成概念にとらわれない“にゃにゅにょ”の世界の魅力を存分に語っていました。 いづれも自身に起きた変化を率直に語っていたのが印象的でした。 このシンポで一週間開催された作品展は終了ということで小林監督はスタッフの皆さん一人一人を紹介し労をねぎらった後、最後にマイクを持った事務局の女性が、 「今はO157などで子どもたちに粘土遊びが禁じられたりしています。 しかし子どもたちは汚すことが好きなのです。 この粘土遊びをしてる人達の楽しい笑顔にぜひ触れてほしいと思います。 今日はほんとうにありがとうございました」 と語った後に“びわこ学園”の生徒達の写真集『ねんどになったにんげんたち』を来場者にプレゼントをしました。 大変恐縮しましたが、ありがたくいただきました。 ぜひこの写真集も皆さんに手にとっていただきたいと思いました。
2009.12.07
| Trackback(0) | ごあいさつ
「長岡で映画祭を開いてます。遊びに来て下さい」 今夏、機会があり、直々に話しかけたら、 やはり“長岡”という言葉に反応がありました。 そして“現役”のオーラは凄かったです。 村娘がどんどん成長し、輝いていくストーリーは楽しく励みになりました。 おつかれさまでした!これからもぜひぶっ飛んで、と。
2009.12.06
| Trackback(0) | ごあいさつ
S東京特派員の映画祭巡礼記。 フィルメックスと韓国映画ショーケース、前半戦 に続いての後半戦、スタートです! 東京フィルメックスと韓国映画ショーケースで見た映画の感想の続きです。 「天国の七分間」(イスラエル)オムリ・ギヴォン監督。 テロに合い生き延びた女性が主人公。 バスに恋人と乗り合わせた彼女が自爆テロにより恋人を亡くし自分も全身にやけどをおいます。 恋人の死と大怪我で深く傷つき、懸命に生きる彼女が気になっているのはバスから彼女を助けた男性。 7分間仮死状態だった彼女を救ってくれたのですが、彼の正体は意外なものでした。 テロに合った普通の人がいかにして心の傷を癒やしていくかを描いた映画。 しかしラストに凄まじいどんでん返しが待ち構えています。全く予想できずビックリしました。 「お父さん、元気?」(台湾)チャン・ツォーチ監督。 父親の子供を思う親心を10個のエピソードで描いた映画。 「最愛の夏」や「きらめきの季節」など独特な暗さを持つチャン監督らしく大半が貧乏な家庭の話。 たまに裕福な家庭だと子供が障害があったりして不幸な状態だったりして見ていてつらいものがあります。 その中では病気の子供を病院に連れて行ったものの治療費がなく父親がお金を持ってくるまで待つ若い父親のエピソード、わがままばかり言っていた息子が父親のバイクに乗って駅まで送ってもらう間に無口な父親の愛情を知るエピソードがさりげない日常を切り取って印象に残りました。 あまり父親の愛情を描いた映画はないと思うのでたまにはこういう映画もあってもいいという気がします。 台湾の風景も美しかったです。 「ニンフ」(タイ)ペンエーグ・ラッタナルアーン監督。 若い夫婦が森でキャンプをするが、夜テントの外に何かの気配を感じた夫は外に出て森を歩いていて事故で死んでしまう。 翌日妻は夫を探すが夫の死体は見つからなかった。 実は夫婦仲は冷めきり妻は恋人がいたが夫がいなくなったことで激しく後悔する。 そしてしばらくたったある日、何事もなかったように夫が帰ってくる。 静かな静かな映画でホラーというより怪談といったほうがふさわしい映画です。 生きている人間と全く変わらない幽霊。 冒頭のものすごい長回し撮影があり不吉な森のイメージに参りました。 また主演女優のワニダー・トゥームタナーポンはタイのセクシーアイドルグループの一員ということで可愛いかったです。 「ペルシャ猫を誰も知らない」(イラン)バフマン・ゴバディ監督。 「亀も空を飛ぶ」のゴバディ監督がテヘランという大都市を舞台にした作品。 「わが故郷の歌」でも音楽が重要なモチーフになってましたが音楽に関心が深いらしく、この映画はインディーズ・ロックのミュージシャンたちが主人公。 何組もの実際のバンドが出てきます。ストーリーはフィクションですが、彼らが演奏するイランのロックも見所です。 イランではロックは法律で禁止されているため満足に演奏することができません。 主人公たちはイギリスで開催されるフェスティバルに参加するために密出国を計画します。 主人公を演じた2人もイギリスに行く予定で、それまでの3週間で撮影を終えなくてはならず、撮影終了は飛行機の出発のなんと3時間前だったとか。 実はゴバディ監督は本来撮る予定の映画が撮れなくなって急遽この映画を撮ることにしたそうです。 短期間で撮影をこなしたプロとしての手腕と撮影に至るまでの障害を乗り越え、とにかく映画を撮ることを選択した監督の姿勢には感動しました。 「グリーン・デイズ」(イラン)ハナ・マフマルバフ監督。 今年行われたイランの大統領選挙を題材にした映画。主人公の女性演出家がテヘランの街に出てムサヴィー支持の熱狂的な市民たちの様子を描いています。タイトルは緑がムサヴィー陣営のイメージカラーからきているようです。改革派の市民の様子は興味深く見れ、これほど一方に肩入れしているのもこの監督の映画らしく、また記録としても面白いと感じました。 「北京陳情村の人々」(中国)チャオ・リャン監督。 北京には陳情局というところがあり、地方政府に対する不満の訴えを受け付けている。 ここで自分の訴えが認められるまで待つ人々が住むところが陳情村。 なにしろただひたすら陳情局に通うために仕事などできず収入がないのでゴミを拾って辛うじて生きているような人々ばかり。 辛くても耐える目的は不当な判断の撤回や名誉の回復。 しかし陳情者は次第に気がついてきます。ここは陳情を受け付けるだけで解決などしないということに。 取材は1996年から2007年まで10年以上続けられますが、その最初から最後まで陳情村にいる人もいます。 その中には精神を病んでしまう人もいます。あまりに理不尽さに今の政治体制が悪いのでないかと革命を期待する人も。 権力に一生を費やして反抗する凄まじい生き方にがただただ凄いと思えました。 「春風沈酔の夜」(中国・フランス)ロウ・イエ監督。 前作「天安門、恋人たち」で活動禁止の処分を受けたロウ・イエ監督が低予算をデジタル撮影で乗り切り作った作品。 また今度は同性愛というタブーを扱った映画。 相手が同性だというだけで、普通の恋愛映画だと監督は言います。 それはそうで、この映画異性の恋愛に置きかえても成立します。 それはそれとして主人公たち5人の若者の恋愛は孤独を紛らわしすためのような感じで痛々しい映画でした。 監督は最後に希望を込めたと語ってました。確かにそこには微かながらも希望が感じられ、少し救われました。 「悲しみのミルク」(ペルー)クラウディア・リョサ監督。 80年代、ペルーの農村部を襲ったゲリラによるテロを背景にした作品。 ゲリラによるレイプの恐怖を母親から繰り返し聞かされて育った若い娘がその恐怖を乗り越えていく様子を描いた映画。 南米的というか、日常の中に奇妙でシュールなイメージがちりばめられ、おかしな登場人物、ユーモラスな描写と不思議な映画でした。 フィルメックスでは新作の他にレトロ作品の特集も毎回あり、今年は「コードネームはメルヴィル」と題しフランスのフィルムノワールの巨匠、ジャン=ピエール・メルヴィルの作品を特集。 日本初公開の2本を見ました。 「この手紙を読むときは」53年。出演ジュリエット・グレコ。 妹を誘惑する若いジゴロを好きになってしまう女の苦悩を描いた映画。 この男が全くいいところがわからないので、こんな男に次々と騙される女心の不可解さが印象に残りました。 「フェルショー家の長男」62年。出演ジャン・ポール・ベルモンド、シャルル・ヴァネリ。 逮捕を免れるためにアメリカに逃亡した資産家の老人と同行者として雇われた青年のアメリカ横断ロードムービー。 青年をベルモンドが演じています。 警察に追われる状況にありながら、サスペンスの方に向かわずもっぱら老人と青年の間の感情の起伏の描写に終始しているのが不思議な感じで面白く感じました。 韓国映画ショーケースでは次の作品を見ました。 「素晴らしい一日」イ・ユンギ監督。出演チョン・ドヨン、ハ・ジョンウ。 突然現れたかつての恋人から今日中に借金を返せと迫られた男は仕方なく知り合いに金を借りに行く。返済を迫る女と共に。 原作は日本の平安寿子の小説。 監督のイ・ユンギは前作も平安寿子原作の「アドリブ・ナイト」でよほど好きなのか? カンヌ受賞女優チョン・ドヨンの新作としてはちょっと地味な役だけど、相手役のいいかげんだけど根は善人のハ・ジョンウとのやりとりが楽しく、タイトルのように素敵な映画でした。 「携帯電話」キム・ハンミン監督。出演オム・テウン、パク・ヨンウ。 タレント事務所社長がタレントのスキャンダルの動画が入った携帯電話を置き忘れてしまったことから謎の人物から脅迫される恐怖を描いた映画。 社会批判のメッセージも感じられただのスリラーに終わってないところが見所でしょうか。 「ヨガ教室」ユン・ジェヨン監督。出演ユジン、チャ・スヨン。 韓国ほどホラー映画が盛んでしかし作品がつまらない国はないんじゃないでしょうか? 他のジャンルでは傑作を生み出している映画のレベルが高い国なのに、ホラーに関してはほぼ全滅。不思議でしょうがないです。 この作品もそんな1本で、映画の体をなしていません。 若い女性出演者のレオタード姿を存分に見たいだけで企画したのではと疑いたくなります。 チャ・スヨンの出番が多いことだけが救いでした(ファンなので)。 以上、フィルメックスと韓国映画ショーケースの感想でした。 すでに発表されたようにコンペの最優秀作品賞は「息もできない」に決まりました。 この作品は来年劇場公開が決まっていますが、他の作品も1本でも多く劇場公開して欲しいと思います。
2009.12.05
| Trackback(0) | 当会の活動報告
今年の当映画祭でも大好評だった本年屈指の傑作青春映画「SR サイタマノラッパー」がシネ・ウインド にて12月26日(土)~12月30日(水)に5日間限定公開されます。いづれも19時30分より! 初日26日には入江悠監督、主役のニートラッパー駒木根隆介さんに釣りラッパー役のTECさんの舞台挨拶もあるようです。というかこの面々が上陸するということは舞台上でラップバトルが繰り広げられることを期待。 今後もゲストが増えるかもしれませんのでぜひ!にとお勧めいたします。 もしくはいろいろあった2009年最後の映画として足を運ぶのも、あのラストシーンで締めくくり劇場を後にするのも粋な気がします。 「SR サイタマノラッパー」公式HPhttp://sr-movie.com/ 入江悠監督ブログhttp://blog.livedoor.jp/norainufilm/ しかしシネ・ウインドは「ドキュメンタリー 頭脳警察」上映とともにPANTAが12月5日に、 「女優 岡田茉莉子」回顧上映とともに岡田茉莉子、吉田喜重監督が12月19,20日に来館するようで何やら凄いことになってます。
2009.12.04
| Trackback(0) | お知らせ
「第10回長岡アジア映画祭」の開催にあたり、「日韓友情年2005」日本側実行委員会を代表して、お祝い申し上げます。 日韓の国交正常化40周年を迎えた今年、記念すべき第10回目を迎えるこの映画祭が「日韓友情年2005」記念事業として実施されることとなり、本映画祭が、日韓のこれまでの長い交流も踏まえ、長岡の皆様の韓国文化への理解や交流促進への一助となるものと期待しております。 同映画祭の成功と今後のご発展を祈念いたします。 日韓友情年2005 日本側実行委員長 平山 郁夫 ---------------------------------------------------------- 「日韓友情年2005」の記念事業の一環として開催した「第10回長岡アジア映画祭」。 その時のチラシにメッセージを実行委員長の平山郁夫画伯から寄せていただきました。 記念事業の本当にほんの一環なので、はたして日本画壇の巨匠に依頼していいものかと躊躇しましたが、写真と共にメッセージを寄せていただき、驚いていました。http://www.mynet.ne.jp/~asia/10th/10th_ai.html そしてそのお礼を書いて翌年、年賀状を送ったところご自身のポストカードに直筆の署名入りでお返事が届いて一層一同恐縮しておりました。 画壇の向上とともに、文化交流や文化財保存に力を注いだ半生を辿れば改めて偉大な功績だと実感し、昨日の訃報を聞いてまず思い出したのが、あの時いただいた年賀状でした。 偉いお方なのに豆な方なんだなと、お会いしたことなどありませんでしたが不遜にも親近感を覚えていました。 その節は誠にありがとうございました。
2009.12.03
| Trackback(0) | 長岡アジア映画祭
「なぜ左目だけ涙を浮かべてるのかしら、、、」 「花の生涯 梅蘭芳」上映会の後片付け、プレイガイドへチケット清算や掲示いただいたポスターを剥がしにまわっています。 事務所近くのラーメン屋さんにはいつもポスターをお願いしているのですが、上映会を終えて剥がしに行ったところ名物のギョーザを焼いてるおばちゃんが話しかけてきました。 「いつもこのポスターみてるのよ、 お客さんもよく綺麗だねと言ってくれるし、 家に持ってって部屋に飾りたいからいただけないかしら、 ホントに綺麗よねぇ」 そこまで言ってくれるのならともちろん喜んでお渡ししましたが、 おばちゃんはポスターの美女が実は男だったとは知らずにいて、ますます驚いておりました。 評判のギョーザを毎日焼いてるおばちゃんも虜にしてしまったことをどなたか余少群に伝えていただけないかと。
2009.12.02
| Trackback(0) | 上映会
昨晩の上映企画室は「花の生涯 梅蘭芳」上映会の後片付け。 年賀状のあて名書きに名簿整理などなど。 あと事務所が散らかっているので12月12日の望年会前には掃除をして片づけて皆さんをお迎えしようとなりました。
2009.12.01
| Trackback(0) | 上映会
« | HOME |
»